2017年1月20日金曜日

差異を前提とした団結 の巻

今日は、1月20日、トランプ氏の大統領就任の日である。奇しくも、この日に帰米することになってしまった。搭乗前の待ち時間にカタカタとこの記事を書きながら、お願いだからデモとかテロに巻き込まないでください、と祈っています(自分が巻き込まれなくてもテロは起きないでください)。


大統領職からの引退を前に、オバマ大統領が演説を行った。1月10日のことである。そのスピーチの中で、とても印象に残ったことばがある。そのまま引用したい。

"Understand, democracy does not require uniformity. Our founders argued. They quarreled. Eventually, they compromised. They expected us to do the same. But they knew that democracy does require a basic sense of solidarity - the idea that for all our outward differences, we're all in this together: that we rise or fall as one"
「理解してほしい。民主主義は同一性を前提としないということを。
我々(合衆国)の創始者たちは、議論し、言い争った。そして最後には譲歩した。彼らは、私たちにも同様のことをするよう期待した。
しかし、民主主義は基本的な団結意識を必要とすることも、彼らは知っていた。私たちには差異があるからこそ団結する、そして盛衰を共にするのだ、という思想である。

つまり、協力や団結は、行為者たちの同一性を前提としない、ということである。言い換えれば、出身、外見、経験、思想の多様性それ自体は、協働することの妨げにはならない、むしろその違いゆえに支えあい、共に生きて行こうという意志を意識的に持つのだ、ということである。



話題を少し変えよう。元旦早々、まだ中学一年生の従妹と、このような会話をした。

筆者: ねえねえ、クラスにさ、どう頑張っても意見が合わない人がいたらどうする?
従妹: とりあえず、話し合ってみる。
筆者: うん、そっかそっか。じゃあさ、話し合ってはみたんだけど、やっぱり最後の最後で譲れなくて、お互いの考えに賛成できません、ってなったらどうする?その子との関係は、その後はどうする?
従妹: もうその子とはあんまり関わらないようにするかな。

この従妹の解答、処世術的には結構いい答えなのではないだろうか。話しても考えの合わない人間とは、そのまま付き合い続けて無駄な軋轢や緊張を生むよりは、なるべく関わらないようにして、共同体の和を保っていこう。日本的な考え方といえばそうかもしれない。


けれども、分かり合えない人とは交流しない、ということは、自分の周りに同じ考えを持つ人間ばかりを侍らせることを意味する。これは複数の理由で危険である、と私は考えている。

第一に、真実を歪曲させる。自分の周りには、自分と同じようなを主張している人ばかりだから、それがたとえ現実に起きていることと異なっても、気付かない。自分の耳に入ってくる情報(しかも、大体は自分の考えや信条を肯定し、固定化する情報)が、ほぼ唯一の「真実」となる。
これが痛いほど露呈したのが、大統領選挙の日のアマーストであった。このウルトラリベラルとも呼べるような環境において、多くの生徒がクリントン氏の勝利を信じ込んでいた。「これだけみんながヒラリーを応援しているんだから、トランプが勝つわけない」「メディアの予想だってクリントンが勝つと言っているではないか」と。しかし、そのような楽観的な読みは、昨年の11月8日に見事に打ち砕かれた。
トランプ支持者はいたのだ。アマーストのコミュニティにも。ただ、あまりにもブルーな環境の中で彼らは表立って自分の政治的信条を明かさなかった。民主党支持者も共和党支持者の声に耳を傾けようとしなかった。クリントン支持者の声だけが日に日に大きくなっていたのである。この集団思考によって、クリントン支持者の選挙予想はかなりバイアスのかかった、現実離れしたものとなったのだ。アマーストで教える教授の中には、トランプ氏にも勝算があることを、選挙のかなり前から気付いていた人もいた。そういった人たちの目は、群れに群れているクリントン支持者の声によって曇ることがなかったのだろう。

自分の考えを肯定してくれる人間とばかり付き合うことの第二の弊害は、共同体内に亀裂を生む、ということである。「話し合っても同意できないあなたとは、もう話しても意味がない」と尚早に結論付け、それ以降のコミュニケーションを諦めてしまう。これは、相手がなぜそのような考えに至ったのか、自分と相手の意見が食い違うのは何故なのか、という思考をも放棄することになる。
それだけではない。ある一点に関する考えの食い違いのために、その個人との関係性を全て絶ってしまうこともある。「トランプを応援するやつはきっと頭がおかしい。何をしたって意見が合わないに決まってるんだ」というクリントン支持者。「女性の権利を平気で侵害してるムスリムとは関わらないほうがいい」という「リベラル」なクリスチャン(イスラームの教義が女性の人権侵害を肯定しているというのはかなり議論が分かれるがここではこれ以上論じない)。こうして、一つの国、一つの学校、一つのクラスの中に、ぱっくりと亀裂が入っていく。

第三に、自分と似た人ばかりと付き合うのは、論理的に考えれば、自分にとって損だ。触れたことのない世界や価値観と出会う機会を、自分の手で放棄することになるからだ。常に「あなたは正しいね」と言ってくれる人とだけ交流すれば、確かに居心地はいいかもしれない。でも、ひどく単調で刺激のない日々を送ることになろう。私の大親友と私は、意見が一致することは多くない。でも、話せば話すほど、「そういう考え方もあるか!」「そんな風に思ったことなかった!」と多くを気付かされる。たとえ「こいつちょっと好きじゃないんだよなぁ。。。」と思う相手でも、腰を据えて、彼・彼女の考えに耳を傾けているうちに「同意はできない。でも共通点もあるから、工夫すればやってけるかも!」と思うこともある。
自分を肯定してくれる人間とばかり付き合うと、個人としての成長の機会も奪われる。自分の意見に挑戦してくる人がいたら、一生懸命自分の主張を弁護する過程で、より洗練された意見を持てるようになるかもしれない。自分がなぜそのような結論に至ったのか、ということを改めて考え直す必要に迫られるかもしれない。答えはAだけだ!と思ってたのは実は思い込みで、よくよく考えればBもCもありえるなぁ、と考えが改まるかもしれない。いずれにせよ、自分のそれとは異なる主張やアイディアに触れることで、視野が広がり、思考や教養が深まる可能性は非常に高い。


自分と似た考えを持つ人たちばかりとつるむことの危険性を論じて来た。私なんかに言われなくても、このようなことに気付いている読者はいっぱいおられよう。それでも私がこのような記事を書いたのは、ここにオバマ氏が言及した「団結する意志」が深く関わってくるからだ。
人間だったら誰しも、居心地よく、安全に生きたい。だから、特に意識をしなければ、似たような考えを持つ友達、いつも自分を肯定してくる人々が、自分を取り囲むような、そんな安全地帯を作り上げてしまう。あえて、自分をいつも弁護し、自省し、成長していくことを求められるような環境に身を置くことは、意志の力によるしかない。自分の意志で、異なる考えを持つ人ともうまくやってこう、同意はできなくても討議し、妥協し、合意に至ろう、そうやって自分を押していくしかない。

オバマ氏が言ったように、団結や協働が同一性を必要としない、というアイディアには希望がある。特に、閉鎖性が高まっていきそうなこのご時世には。民主主義を、討議を、協力を尊重していきたいとう意志があれば、出自や人種や思想が異なっても、共生していくことは可能なのである。


アマースト大学に到着するころには、就任セレモニーなども終わっているだろう。学生たちの様子も、今後伝えていきたいと考えています。

それでは12時間の空の旅へ。いざ。




2017年1月5日木曜日

人種差別ポスター事件 の巻

今となってはかなり昔のことになってしまったのが、アマースト大学では結構ニュースになったので、遅ればせながら報告したいことがある。

10月末ごろ、フェイスブックのニュースフィードで、たくさんの生徒がシェアした衝撃の写真がある。





お分かりだろうか。
様々な頭蓋骨と脳のサイズを比較し、白人の知的レベルは黒人や先住民族のそれよりも高いこと、そして、その差異は生物学的な違いによるものであることを主張したポスターである。多くの人がキャンパスを出入りするファミリーウィークエンド(在校生の家族がキャンパスを訪問する年に一回ある週末のイベント)の直後に発見されたので、アマースト大学の学生が掲示したわけではおそらくないだろう、と学生たちには理解されている。
何年も前に「科学的に根拠がない」と結論付けられたことをこんな風に蒸し返す人がいるのか、とあきれた意見が多かったが、やはり人種的マイノリティへのインパクトは大きかったみたいである。
同じ授業を取っているアフリカンアメリカンの学生は、怒りと悲しみの入り混じった表情で、「まだこんなことを本気で信じている人がいる社会に出ていくのは怖い」と話していた。

筆者としては、、、
このポスター事件が起きた当時は、アホなことしたやつがいるもんだ、くらいの感想しか持たなかった。なぜなら、このポスターに書いてあるような内容を支持したり容認したりするような人間はほんの一握りの人種差別主義者だけだ、と想像していたからだ。しかし、以前より人種差別的発言を繰り返していたトランプ氏が大統領選挙で当選してから、じわじわと不快感と恐怖が沸き上がってきた。アメリカ国民はトランプ氏を当選させてしまった、つまり半分くらいの国民は、このような言説を積極的に支持はしないまでも、容認する、という現実が露呈したからである。

トランプ支持者は、皆が皆racist(人種差別主義者)、sexist(性差別主義者)、homophobe(同性愛嫌い)ではない、と主張する人も大勢いる。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。よっぽど詳細な調査が行われない限り、その真偽はわからないだろう。
しかし、一つだけはっきりしているのは、これらの人たちは、このような差別主義的言説を、それ以外の要素(リーダーシップ、政治的カリスマ、管理能力など)がどれほど優れていても投票をやめさせるような、絶対的に抵抗しなればいけない不正義、という風には理解していないということである。
だからといってトランプに投票した人を単純に非難する気にもなれない。誰だって、愛だの正義だのという議論は、自分の生活が保障されてから初めてできるものだと思うし、トランプ氏に投票したいと思わせてしまったクリントン氏やそれまでの政権の政策の失敗というのも考慮に入れなければならないからである。

まあでも、とりあえず、いい気分はしない。というのが筆者の感想である。いい気分はしないし、トランプ氏の当選(そしてもうあと数日で就任!!)によって、なんだかリアル感が増してしまって、冷たい汗が背筋を流れるような感覚である。

現在冬期休暇で一時帰国している私がアマーストに戻るころには、米国大統領はオバマ氏からトランプ氏に変わっている。それに対するアマースト大学の学生たちの反応なども、今後報告していきたいと考えている。



2017年1月2日月曜日

はじめてのThanksgiving体験(2) の巻

 Thanksgiving休暇後すぐにファイナル(期末試験)シーズンに入ってしまったためずっと更新していなかった。反省。

 と、いうことで、Thanksgiving体験報告第二弾です!

11月24日の朝は、早朝からキッチンがガタゴトいっていた。
ターキーにつめるスタッフィングを作っていたのだ。スタッフィングは、パン、フルーツ、野菜、ナッツなどをまぜた詰め物のこと。ステイ先のスタッフィングは、ドライフルーツを戻したり、角切りにしたパンをあらかじめオーブンでカリカリに焼いたりなど、調理が何工程もある手のかかったものだった。
しかもこれはメインになるわけではなく、ターキーの中につめたり添え物にしたりする。

                           完成したスタッフィング→












前日にスープにつけておいたターキーを取り出して、よく水を切ると、お尻のほうからこのスタッフィングを詰める。鳥類のお尻に腕をつっこむという体験はかなりエキサイティングでした。


←オレンジの果汁や様々なスパイスが入ったスープに
一晩つけたターキー



















ターキーをオーブンに入れると、毎年恒例だというハイキングに連れて行ってもらった。車で10分弱いったところにあるトレッキングコース。もとの標高が高めなので、ちょっと上っただけで壮大な景色が!散歩、といっていた割には二時間半歩いて結構疲れたが、豪華なディナーの前にはいい運動になった。




そしてそして、待ちに待ったディナー!!ステイ先のおうちはお父さんがイランの方なので、イラン料理も織り交ぜたThanksgivingディナーでした。手前はイランでよく食べられるというポテトライス。炊いた長粒米の上に表面をカリッと焼いたスライスのジャガイモがのっている。これ自体に味はなく、イチジクとゴマのたっぷり入ったシチュー(想像以上においしい)をかけて食べる。ポテトライスの奥は上記のスタッフィング。ターキーに詰めてローストしたのを取り出しだもの。その横の白いのはマッシュポテト。ふわふわ。 その奥はローストしたニンジンとカブ。

アングルを変えて。手前はもちろんターキー。これでも小ぶりなものだそうです。付け合わせのクランベリーソースやローストした芽キャベツも。このクランベリーソースは前回の投稿で作り方を紹介したものだが、ショウガやシトラスのピールが入っていて、とてもさっぱりしている。なんだかんだディナーの中で一番好きだったかも(笑)
ディナーは16時半ごろから20時ごろまで続き、食べ終わった後もボードゲームをしたり映画を見たりなど、のーんびりした時間を過ごした。日本のお正月に少し感覚は似ているかも。食っちゃ寝。笑
ということで、すんごい遅れましたが、Thanksgiving Dayのリポートでした。
家族水入らずの休暇に私を招いてくれたご家族に心から感謝!日本にも遊びに来てくれたらいいなあ。。。