2019年3月4日月曜日

APEC Voices of the Future 2018 の巻

昨年11月12日~18日で、パプアニューギニアの首都、ポートモレスビーに行ってきました。APEC CEO Summit にユース使節として参加するためです。
とりあえず、集合写真(笑)



APEC加盟国21エコノミーのうち、15エコノミーから大学生・院生くらいの若者が集まって、実際のAPEC会合と同じテーマを話し合う。そして最後にはYouth Declarationをドラフトし、ユース使節が署名する。それが、APEC Voices of the Future です。

2018年のテーマは"Harnessing Inclusive Opportunities, Embracing the Digital Future" (包摂的な機会を創出し、デジタルな未来を迎え入れる)でした。
つまり、技術革新の波に取り残されることなく、かつ、それを富める者・力のある者の手の内に留めるのではなく、弱者を包摂する仕組みにいかに生かすことができるか、そのような内容です。

まず、各エコノミーのユース使節の代表者が、VoFのテーマに合わせたスピーチ、あるいはプレゼンを行いました。日本代表団のスピーチでは、先頭を突っ走りながら後に続く者を鼓舞するリーダーに代わって、「しんがりを守るリーダーシップ」が必要になってきている、というのを中心に語りました。「我が国の強み」を中心に語る使節団が多い中、私たちはあえて、メンタルヘルスを公に語れない、ジェンダーに基づいた差別が根強い、など日本社会のもつ「弱点」を正直に語り、他のエコノミーとの交流を通じて、私たちも謙虚に学んでいきたいし変わっていきたい、ということを訴えました。そのような内容のスピーチを、技術的にも経済的にも発展国である日本の代表団がしたことが良い意味で意外だったらしく、スピーチ後の休憩時間には、色んなエコノミーの若者が「心を打たれた」「日本社会も色んな困難を抱えているんだね」と声をかけてくれました。純粋に嬉しかった。

あと、日本だけ、唯一使節団が全員女性でした笑
スピーチでは「日本のリーダーシップポジション、政治家、閣僚には女性が少ない」と言っていた割には、ユースメンバーは5人とも女性で、「日本男子学生はどうしたの?」と聞かれまくりました。ほんと、どうしたの?就活とか忙しかったのかな、、、

GraSPPホームページには、日本人ユース使節団が書いた、VoFに参加しての感想文が載っています。一人ひとり、印象に残ったことや、感じたことが違うので、読んでいて興味深いと思います。わたしもリフレクションを書いたので、興味があればご一読ください。

でもやっぱすごかったのは、マイク・ペンス米副大統領と習近平中国国家主席のスピーチを生で聴けたことでした。スピーチからしてバチバチだったので、後日、首脳レベルの声明文がまとまらなかったと聞いて、「うん、まああの調子じゃ無理ないな」と思いました(笑)


2019年2月8日金曜日

大学院の1学期目が終わった の巻

すごく久しぶりの投稿。
なぜなら、アマースト大学の最後の学期、および東大公共政策大学院(GraSPP)に復学した学期、本当に忙しくてブログなど書いている時間がなかったので(言い訳)。

でも、せっかくだから、二年ぶりに戻ってきたGraSPPの印象でも少し記しておこうかな。

まず戻ってきて驚いた―「新しい高層ビルができている!!」
二年前までは、赤門からも遠めの第二本部棟に、GraSPPの事務室やら自習室があったんです。(二年前を知らない子たちにこれを言ったら、「あ、健康診断のビルね?」と言われました。うん、そうです。)第二本部棟にはとても狭い「談話室」というのがありましたが、マックス8人くらいしか入れなくて、いつも散らかっていて、なんか湿っている空間でした。
それが、今は赤門のすぐ近くに、広々としたGraSPP専用ラウンジと専用自習室ができたのです。大きな窓から自然光が差し込む、明るくて解放感のあるラウンジは、いつもGraSPP生で賑わっています。自習室も席数とコンセント数が豊富で、領土・資源争いに発展しないのが嬉しいです。

そう、ラウンジでいつもわいわいやってるのが、ほとんど留学生なんです。(日本人の学生はどこに生息してるの?) 
二年ぶりに戻ったら、GraSPPは留学生(MPPIPコース、ダブルディグリー生、交換留学生)がめちゃ増えた気がする。詳しい数は分からないけど、MPPIP(Master of Public Policy, International Public Policy)コースの受け入れ学生を増やしたみたいです。
今学期できた新しい友達は、ほぼMPPIPの子たちです。いつも一緒にいるから、わたしもこのコースの一人だと思われています(私は、「国際公共政策コース」という「日本人用」のコースにいます)。

GraSPPについて、もう少し詳しい情報は、大学院ウェブサイトをご覧くださいませ。

実は、2018年11月、APECへの日本代表ユース使節団の一人として、パプアニューギニアに行きました。そのときの様子は、また別の投稿で紹介したいと思います:)

2018年3月3日土曜日

リベラルアーツ=教養?(続き) の巻


前回の投稿で、リベラルアーツ教育が育成しようとする教養とは、知識そのものよりも、知識を正しく用いるための思考力や視点のことですよ~と言うようなことを言いました。
料理のアナロジーで言えば、知識=材料で、教養とは料理の原理を理解し、それを作ったことのない料理や扱ったことのない材料にも応用させていける土台的な能力だ、と。

しかし、この言い回しが少し誤解を招くかも、と思ったので、二点ほど改めて説明しようと思います(尚、これは完全に私個人の考え方で、それは違うぜ!と思ったらぜひコメントを残してください)。

第一点。知識を「正しく」使う、の「正しい」は、正解の、という意味ではありません。カレーの作り方にも幅があり、全く違うレシピを使っても美味しいカレーが出来るように、知識の用い方に単純な正解、不正解はないからです。私がここで意味する正しい、とは、正義に適う、ということ。つまり、皆が喜んでくれる美味しいカレーを作ろう、という信念のことです。

ここでまた難しいのは、喜ばれる=食べた人の益になる、とは必ずしもならないことです。味は美味しいジャンクフードはいくらでもありますよね。美味しくて安いことを売りにしているけど、実際には食べた人の栄養を害するような食べ物。

そこで大事なのは、時には美味しいだけじゃなくて、栄養価も高い料理を作り出すということもできる判断力と勇気です。超単純な例を考えれば、例えば社会保障制度の充実化を目指すのであれば、不人気であっても増税しなくてはいけないかもしれない(まず財政のムダを無くせ、という批判はひとまず置いといて)。これは正直言って、万人受けする「美味しい料理」ではありません。でも、貧しい人が教育を、医療を、食事を諦めることがあってはならないという正義感と、実際にそのほうが長期的には国の経済発展につながる、という論理的な思考を合わせて「増税しましょう」という判断になるわけですよね。

ここで、その判断を聞いた側が「えー!!やだー!!」と駄々をこねて手足をジタバタさせるのか、増税は解せない、、、と思いながらもふと立ち止まって、少しリサーチしたり他の人と意見を交わしたりして、「確かに嫌だけど今回はその判断を受け入れよう」となるのかで、市民の質も問われるのだろうと思います。ここで政治体制や民主主義の原理の話になると投稿が永遠に終わらないのでしませんが、要は、教養はリーダーだけのものではない、ということが言いたいのです。民主主義という、国民に主権がある体制においては、市民一人ひとりの教養も問われるのだ、ということです。「これはリーダーの職権乱用だ!」という判断を下せるのも教養があってこそです。

もちろん、増税の例を使ったからと言って、わたしがそれに賛成しているわけでも、増税すれば貧困が解決すると思っているわけでもありません。また、知識をいかに使うか、とう問題は公共政策の分野でのみ効力を発揮するものでもありません。学校、仕事、家庭など、様々な場面で適用できるはずです。

哲学や教養が大事なのは、そこに倫理観、正義感が内在しているからです。知識を、人に喜んでもらえる形で使おうという純真な信念、けれども時には一瞬不人気を買っても人のためになる形で使おうという判断力と勇気。これがリベラルアーツの目指す教養です。



そして、第二点目。リベラルアーツは知識の用い方、考え方に重きを置くと言いましたが、知識そのものを軽視しているわけではありません。むしろ、知識量は大事です。リベラルアーツは、いわゆる詰込み、という知識ばっかりあって使い方がわからないという状態を批判しますが、知識の不足に対しても同様に批判的です。

材料がなかったらそもそもどうやって料理しますか?多くの素材に触れて来なかったら、素材の良し悪しを判断する目はどうやって養いますか?
ジャガイモは汎用性が高い食材です。何種類もの料理を生み出すことができます。でもジャガイモだけで作れる料理はどれだけあるでしょうか?
知識も似たようなものです。限られた知識を、「リベラルアーツで鍛え上げたという思考力」でこねくり回したところで、実体のあるものを生み出せる可能性、そもそも論理的に考えられる可能性は低い。

よく就職面接で使われるフェルミ推定は、論理的思考力をチェックするためのものであり、実際に出した答えの正誤はあまり評価に関係ないと言われています。でも、例えば「一年間で日本人が車のガソリンにかける金額の総計」を導き出すのに、全国民のうちどれくらいの人が車を持っているのか、持っている人はどれくらい車を使用するのか、車の使用料は地方と首都圏でどれくらい異なるのか、人々はそれくらいの頻度で給油して、一回分のガソリンは大体いくらなのか、という判断材料は最低限持ち合わせていないといけません。

考える、という行為には、考える内容がある、という前提があるわけです。
ということで、リベラルアーツは批判的思考力ばかり鍛えて頭でっかちの人間を作り出す教育理念ではないのですよ、という弁護でした。


以上二点の解説で、リベラルアーツの理解が少しは深まったでしょうか?私も教育学の専門家ではないので偉そうなことは言えませんが、日本でもうちょっとリベラルアーツの価値が広まってくれたらいいなあ、とアマーストから願っています。

2018年3月2日金曜日

リベラルアーツ=教養? の巻



大学には二つの矛盾した期待がかけられている

一つは、社会経済的な影響から独立し、学生や研究者が自由な思想と学問の発展に没頭できる 「Ivory tower = 象牙の塔」であること。ここでは、どのような考え方も表現も拒絶されない、"Safe Space"(「安全な空間」)が保証される。実社会に出たら、「現実的じゃない」と一蹴されそうなユートピア的発言も、「こんなこと言ったらのけ者にされる」というような衝撃発言も、大学では許容される。
特に、これまで「当たり前」と思ってきた事柄を突き崩して、一つ一つ律儀に検証することに重きを置くリベラルアーツ教育においては、社会通念や権力構造に屈しない自由な発想ほど好ましく受け取られるようなイメージがある。

その一方で、一つ目と真っ向から対立する期待もある。それは、社会に出たときに「使える」人材へと学生を成長させよ、との期待である。最近の大学には、卒業と共に企業の即戦力になる学生を生み出すことを売りにしているところも多い(と電車のつり革広告を見て思う)。


日本では、こういう大学の在り方、つまり、大企業に入るための準備をする場所、という認識が当たり前になってしまっていて、そもそも疑問を抱くこともない学生が多いのではないか。私もICU(Isolated Crazy Utopia)に通わなければ、そのうちの一人だったと思う。

確かに、某ニュース解説者と秋篠宮家のお陰で「リベラルアーツ」という言葉字体は国内で知名度を高めつつあるけれど、その意味についての理解はまだ行き渡っていない。
「リベラルアーツ=教養をつける教育」という等式は間違っていないのかもしれないけど、教養という言葉がちょっとした誤解を生みだしているからだ。

リベラルアーツが目指す教養人は、立食パーティーで二コマコス倫理学の一節を引用して周囲から感心されるような人間ではない。本当の教養は実践の哲学、つまり批判的思考と芯の通った倫理観である。もし知識が料理の材料ならば、それをどのように切り、下ごしらえをし、火を通し、蒸らし、冷やし、提供するか、その正しい手順を導き出すのが教養、同じ材料で異なる料理を作り出す能力が創造力である。そして同じ材料を使っても美味しい料理とまずい料理があるように、同じ知識を使っても人々の利益になるものとならないものを作り出す可能性がある。そこで悪を食い止め、善を導き出すのがモラル、倫理である。
大学は、材料を与えるだけじゃなくて、それをどう使い料理にするか、しかも栄養価も高く美味しいと喜んでもらえる料理が作れるようになるのか、それを教え、かつ生徒に考えさせる場所でなくてはいけないのだと思う。

社会に出て即戦力になる学生は、限られた知識を限られた方法で使用すること、つまり一つの料理のレシピをとことん叩き込まれているような学生だ。だからカレーをずっと作り続けている分には、そして豚肉が鶏肉に変更されるくらいなら力強く、その道のプロとしてやっていける。でも急に他の料理を要求されたら?魚しか手に入らなくなったら?

リベラルアーツでは、知識量を増やすのと同じくらいかそれ以上に「考え方」や「視点」を多様化させること、つまり土台を築くことを目指している。料理の原理が分かっているから、どの具材が来ても、煮物の代わりに炒め物を要求されても、一つ一つの原理を組み合わせて料理を完成させることができる。

料理のアナロジーを貫徹させるため少々無理なところも無くはなかったかもしれないけど、これで少しリベラルアーツとはなんぞや、というのが少し伝わったかしら?

さらに興味のある方はこちらをお読みください。
The Disadvantages of an Elite Education (William Deresiewicz)

Black Panther ブームがすごい の巻

日本ではやってるのかな、ブラックパンサー。
ブラックパンサーといっても、

「blackpanther 1960」の画像検索結果

ではなく、マーベル映画の

「blackpanther」の画像検索結果

こちらですね。

もうアメリカでは大ブームで、公開から二週間で700億円の売り上げ。期待感もかなり高かったけど、実際に観た人の満足度も高かったみたい。普段映画館行かない私ですが、これくらいは観ようと思い、行ってきました。

ざっくり言えば、アフリカ大陸にあるワカンダという架空の国を舞台に、アメリカに置き去りにされた現国王の従弟と、国王との戦いを描いた映画ですが、何をめぐっての戦いかと言えば、もちろんプライドとか恨みとか国王の座とかいろいろあるんだけど、ワカンダが世界中に秘密にし守ってきたレアメタルなのです。このレアメタルは、すごく頑丈で適応性も高い他に例を見ない金属なのですが、これをワカンダの国富として守りたい国王と、アメリカやヨーロッパで黒人差別に立ち向かう人々へ武器として輸出しようとする従弟が思い切りぶつかるわけです。まあ、このレアメタル輸出はむしろ後付けの理由で、単に自分をアメリカに置き去りにして差別や貧困を味わわせた「本家」への報復がメインだ、という人もいるかもしれないけれど、私個人的にはどちらでもいいかな、という感じです。

むしろ、とても興味深く観たのは、映画のところどころに現在のアフリカ大陸やアフリカンディアスポラ(奴隷として西洋諸国に連れて来られた黒人の末裔)が抱える問題を、時にはコミカルに取り入れていたこと。たとえば、映画の中で戦いの焦点になったレアメタルの問題は、シエラレオネや南アフリカがダイアモンドによって血みどろの戦いに巻き込まれたことを完全に想定しています。実際の歴史では、ヨーロッパ人がダイアモンドを発見してからというもの、大変な利権領土争いや児童労働、内紛につながったけど、もし現地の人々が自分たちで発見していたなら歴史はどう変わっていたのだろうか、と考えたり。

あとは、アフリカ人とディアスポラの微妙なアイデンティティの問題。例えば、アフリカに住む人は、国によってはひどい搾取や内戦に苦しんだ(でいる)かもしれないけど、アメリカであったような構造的な人種差別、集団リンチ、二等市民扱いは受けたことがない。vice versa. この前ケニア人のアマースト生と話していた時に、「アメリカに来るまで自分が黒人だって意識したことなかった」というようなことを言っていた。あと、ナイジェリア出身のゴスペルクワイアのメンバーが、「ゴスペルって黒人奴隷として連れて来られた人の音楽でしょ?もちろん神様を賛美する気持ちは普遍的だから良いっちゃ良いんだけど、私の先祖は幸運なことに奴隷業者に捕まらなかったからさ、、、アフリカンアメリカンの人たちと同じ文化的遺産を共有してるかって言われればちょっと違うかな」と言ってて、考えてみたら当たり前のことなんだけど、「確かに~」って妙に納得したのです。
もちろんどちらのほうが苦しみが大きいとか、どっちが真のアフリカ人か、とかそういう価値判断をするつもりは全くない。大事なのは、日本にいたら注意を払うこともなかったであろうアイデンティティ、歴史、政治のイシューに気付かされたこと。

そして、映画のなかで一番印象強いのは、植民地主義に対する力強い風刺。
とりあえずこれだけ貼りつけておきます。

マーベル映画だけあって、アクション映画としても十分に楽しめるけど、やっぱりこの映画で語られてる特殊な歴史的文化的コンテクスト(分脈)に普段から慣れ親しんでない日本人にはそこまでヒットしないかなー、と考えてます。

2017年7月16日日曜日

一週間のスケジュールはこんな感じ! の巻

ベイルートでの生活も早いもので半分ほどが過ぎました。今回は、AUBプログラムの一週間のスケジュールをご紹介。
まず、メインとなる授業は、月曜~金曜の8時半から13時まで。二人のインストラクターが約半分ずつ教えます。4時間半の授業ですが、15分間の休憩が2回入るので、勉強しているのは正味4時間です。とは言っても、正午を過ぎてからの1時間は、いつも永遠に感じられるほど長い、、、笑。内容としては、主に小グループやペアでの会話、ビデオを見て内容の理解度を確認するリスニングのトレーニング、そして文法の講義も少し。

文法はアマーストで教わったことの復習が多いので問題ないのですが、リスニングはかなり苦手。耳がなんだか知っているような単語を拾っても、その意味を思いだそうとしている間にどんどんビデオが進んで、「ああ、もう今なんの話してるの???」という感じ。特に、私が慣れている公用アラビア語のフスハではなく、話し言葉のアンミーヤになると、知っているはずの言葉さえ発音やアクセントのせいで聞き取れずむしゃくしゃ。でも何回も何回も聞いて内容が理解できたときの喜びは格別です。


授業を終えたあとは、1時間の昼食休憩。正直に言って、この昼食の時間が1日の中で一番楽しい時間です笑。ほぼ毎日、クラスメイトと共に、サンドイッチ、シュワルマ(薄く削いだケバブの肉を野菜を巻いたラップ)、ファラフェル(ひよこ豆のコロッケ)のラップなどのストリートフードを食べています。これが大体$2.5~4という安さ。
しかもぜんぶサイズが大きいので満腹になります。写真は、お気に入りのファラフェル屋さん。奥の巨大なフライヤーの縁にぞろっと並んでいるのが、そのファラフェルです。手前がサンドイッチに巻かれる具材たち。








二枚目の写真が、そのファラフェルサンド。ファラフェルとトマト、ミント、ラディッシュ、ゴマのソースを巻いたラップサンド(3500LP=$2!)。食べかけで失礼します笑
そう、こっちに来てしたレバノン料理に関する嬉しい発見は、①やたらと生玉ねぎを使わないこと(生玉ねぎは、数少ない苦手な食べ物の一つです)と、②ミントを多用すること。ゴマ、ひよこ豆、オリーブオイルなど、リッチなテクスチャーの具材とミントの爽やかさが合わさると、口に入れた瞬間踊りだしたくなるような美味しさです。


この写真もまたお気に入りのお店のもの。サージという伝統的な鉄板で、サンドイッチを作っている様子です。ピタパンをここでカリカリに温め、それで肉や野菜やチーズを巻きます。手前の、茶色っぽいものが乗っかてるものが、私がよく食べる(ラヘムバジン)。生のひき肉をパンに塗りつけ、パンごとサージの上で調理します。お肉に火が通ったら、野菜、マヨ、マスタードなどを巻いて出来上がり。これもまた巨大な割に、4500LP=$3です。


昼食を終えたあと、14時~15時は、インストラクターとの一対一の面接です。面接といっても、授業で聞けなかった質問、宿題で分からなかったことなどを質問して教えてもらうような感じ。この面接は水曜日を除いて毎日あるので、その日の疑問をその日のうちに解決でき、とてもありがたいです。


そして、15時以降は日替わりで1時間~1時間半のプログラムがあります。
月曜日はレバノンや中東の歴史、文化、時事問題に関するレクチャー。もちろん、in アラビア語。正直15%くらいしか理解できてないから、これ参加する意味あるのかなって思いますが、先生によれば、分からないなりに数少ない知ってる単語を聞き分けたり、アラビア語のリズムに耳を慣れさせたりするだけでも意味があるそう。ふーん、、、と思いつつ、「参加しない」というオプションがそもそも存在しないので頑張ってかじりついています。

火曜日はアラビア語の映画を見ます。これには字幕がついているので内容は一応理解できますが、翌日の授業で行う5-10分ほどのスピーチのために、何を話そうかな、と考えながら観ています。

水曜日は、クラスでベイルート市内を歩いたり、大学近くの観光名所を訪ねたりします。例えば、先週の水曜日は、近所の花屋や雑貨屋に立ち寄り、覚えたてほやほやの言葉を駆使しながら店主とコミュニケーションを取ったり、ジューススタンドで注文したりしました。このプチトリップは、教室外でアラビア語を使用する良い機会です。写真は、その時に飲んだ(食べた?)フルーツカップです。上にふわふわのチーズと生のアーモンドがトッピングしてあり、ボリュームたっぷりで満腹になりました。





木曜日はクラブ活動の日。レバノン、パレスチナなどの国々の民族舞踊であるダプケか、カリグラフィー(アラビア語の書道)のどちらかを選択します。
わたしは、後者を選びました。これがいやはやとても難しい、、、。アラビア文字独特のカーブがなかなか描けません。綺麗にバランスも取れない。先生はあんなに簡単そうにやってるのに、、、笑。

カリグラフィーの字体は全部で6種類あるらしいのですが(トルコ起源、イラン起源、レバノン起源、など地方で分かれている)、私たちが習ったのは、写真のナスハという字体。一生懸命練習して少しでもお手本に近づきたい!。


金曜日は、TAとの1時間の会話セッションが2,3週間に1回ありますが、それが無ければ15時ですべてが終わります。

こうして16時半ごろまでにすべてのプログラムが終わり、夕方は宿題をやったりジムに行ったりします。金曜の夜は、こっちで出来た友人たちとバーに飲みに行くことも。実はまだベイルートでクラブに行っていないので、帰国前に行かねば!と思っています。ベイルートのナイトライフは、東京とは比べられないほど華やかで、豪勢です。人によっては朝7時までパーティをして、朝ごはんを食べてやっと解散、ということもあるそう。
もし夜遊びする機会があればそれもまたご報告します笑。

週末にはAUBが遠足に連れて行ってくれたり、自分たちでアウトドアを楽しんだりできますが、それについてはまた今度の投稿で!
そんなこんなで平日は忙しく、週末はゆったり過ごす、というメリハリのある生活を送れています。夏休みになんで1日8時間も勉強してるんだ?と思うことはちらっとあっても、ベイルートで語学研修なんて滅多にない経験だし、ICUを一緒に卒業した仲間は夏休みなどなく働いているんだ、と思い出して、5秒前の甘ったれた考えを振り切っています。
ここでの生活もあと3週間と少し。与えられた機会と時間を無駄にしないよう、残りも頑張っていきたいです。


さてさて、最後に、アラビア語でのフレーズをご紹介。今回は「ありがとう」です。
!شكراً シュックラン! と言います。
さらに、「とても」「本当に」を付け加えたい時には
كثير クティール をくっつけます。

ここまで読んでくださってシュックラン・クティール!




2017年6月30日金曜日

授業が始まりました! の巻

 本日4回目の授業がありました!
 21日(水)のプログラム初日にあったプレイスメントテスト(組み分け試験)に基づいて、全88人の参加者が8~10人ほどのクラスに分けられました。クラスは大きく分けて、完全初心者向けのElementary、1~数年アラビア語を勉強した人向けのIntermediate、そして、会話および読み書きはほぼできる人向けのAdvancedがあります。そして、この三つのレベルをさらにLow, Mid, Highの三つに分けます。わたしはMid-Intermediate、つまり、中の中のクラスに入りました。

 アマーストではAl Kitaab (文字通り「The Book」)という教科書のPart1を1年間かけて終わらせたのですが、このクラスでは、同じくAl KitaabのPart 2を使います。6週間で半分以上を終わらせるらしい、、、(恐怖)。その教科書がこちら。

Al Kitaabは、アメリカ、ヨーロッパの大学のアラビア語の授業で広く使われている有名な教科書です。しかも、編集者の一人のMahmoud Al-Batal 教授が今回のAUBプログラムのディレクターをしているんですよ!マフムードさん、アラビア語教育の世界ではかなり有名な人らしいです。

そして中はこんな感じ。この教科書には10単元収録されていますが、各単元の一番最初には、30~40の新しい単語のリストがあります。写真は単元1の単語リストです。これを見るとなんとなく私がいるレベルがお分かりになるかと思います。


 さて、習熟度別にクラスを振り分けられたはずなのに、私のクラスにはペラペラとアラビア語を話せる生徒も数人います。私は彼らの言っていることの半分くらいしか分かりません。このようなことが起きるのはなぜでしょうか?
 アラビア語サマープログラム参加者は、大きく二つのグループに分けることができます。一つ目は、アラビア語を完全な外国語として学び始めた人たちです。彼らは、将来学問や仕事に役立てたいと思って、ゼロからアラビア語の習得を目指しています。私もこのグループに属します。二つ目のグループは、アラビア語圏出身者、あるいはその血筋だけど、アメリカやヨーロッパなどアラビア語圏外で育って、その国の言語で教育を受けて来た人たちです。彼らの中には、アラビア語で家庭教育を受けて来た人もいます。
 さて、この事情を考慮すると、私のクラスで起きている不可解な出来事も理解しやすくなります。つまり、一見ペラペラとアラビア語を話している人たちは、家での日常会話は問題ないけど、読み書きがほとんど出来ません。だから、リーディングとライティングしかなかった組み分け試験で、彼らの言語能力は、アラビア語をゼロから始めた私と同等、と判断されたのです。
 移民がとても少なく、かつ、母語と教育を受ける言語が一致している人が大半を占める日本では、なかなかイメージが湧きにくいかもしれません。でもこの二つ目のグループに属している人の中には、自分の母語をきちんと読み書きできないのを悔しく思っている人もいます。切実な悩みだと思います。

 と、いうことで、わたしは10人ほどのクラスメイトと共に、毎日5時間のアラビア語の授業と4時間の宿題をこなしています。新しい単語と文法で頭がパンクしそうですが、プログラムを終えた時の自分の成長した姿を妄想しつつ頑張っています。

 最後に、、、。今回から、毎回の投稿で一つずつアラビア語の言葉をご紹介していきたいと思っています。今日の言葉は、一番大事な「こんにちは」!
!مرحبا   mar-haba!   マルハバ!
(ちなみに上のアラビア文字は右から左に読みますよ)

次回以降もお楽しみに!