2016年11月25日金曜日

はじめてのThanksgiving体験(1) の巻

 さてさて、アメリカにはThanksgivingという、大きな行事がある。みなさんもご存知だろう。ターキーの丸焼きとアップルパイがすぐに思い浮かぶのではないだろうか。

 そもそも、サンクスギビングとは「収穫感謝祭」の意味である。毎年11月の第四木曜日に行われ、今年は24日が感謝祭。17世紀前半、イギリスからアメリカ大陸に渡ったピルグリムたちが寒さと飢えで困り果てたときに、彼らを助けたのがネイティブアメリカンたち。その土地を知り尽くした彼らのノウハウによって、イギリス人入植者たちは次の年の秋に多くの食べ物を収穫することができた。それに感謝して、ネイティブアメリカンを収穫後の祝宴に招いたがサンクスギビングの由来である。国民の祝日となったのはリンカーンが大統領になったとき、らしいよ。
(詳しくはこちらを読んでみてください)

 さてさて、アマーストはこのサンクスギビングに際して、一週間超休講になる(ここまで長期の休みになるのは、大学の中では結構珍しいことらしい。)
通常、このような休みの際、実家に簡単に帰れないインターナショナルスチューデンツはキャンパスに残るか、旅行に行くかするのだが、わたしは幸運なことに、コネチカット州に実家があるアマーストの友人が「うちにホームステイしてアメリカのサンクスギビングを体験しなよ!」と誘ってくれた。ので、そのオファーに感謝して、ご厚意に甘えることにした。


 ということで!人生初のサンクスギビング体験!サンクスギビングの目玉はやはり特別な食事であり、私も友達のお母さんと一緒にキッチンに立っていろいろお手伝いさせてもらったので、その様子をちょっくらご紹介できたら、と思っている。今回の投稿では、前日の水曜日に作ったものを紹介!

 まずは、ローストターキーを美味しく食べるには欠かせないクランベリーソース作り。日本ではなかなか見ることのできない生のクランベリーだが、こちらでは特に感謝祭からクリスマスにかけてよく使われるので、スーパーでビニール袋に入ってふつうに売っている。
洗って傷んだ実を取り除いたら、水と砂糖とオレンジピールとショウガのみじん切りを煮立たせた鍋に、ばさーっとクランベリーを投入。

投入時


15~20分くらいで、クランベリーの皮がぷちぷち弾ける音が聞こえてくる

完成間近。オレンジのいい香りがする。

ビンに入れて、冷蔵庫へ!
もっと実のかたちがなくなるまで煮込むのかと思ったら結構あっさり仕上げていました。一番スタンダードなレシピは、水と砂糖のみだが、レモンとショウガが入ることでエッジの効いた仕上がりになった(伝わってほしい)。


そして、手間のかかるパイも前日に焼いてしまう!サンクスギビングで食べるパイと言えばアップルパイかパンプキンパイなのだが、木曜日のディナーに来るお客さんがアップルパイを持ってきてくれるということで、パンプキンパイを作った。




ベイキング経験ほぼゼロの私にとってパイづくりなど縁遠いと思っていたのだが、、、

割とうまく生地が伸ばせて、かつ淵の模様もけっこう上手に出来たのでご満悦。

まずはこのパイ生地のみを、オーブンで焼きます。


そこにパンプキンピューレとか牛乳とか卵とかまぜたやつ(←こっち手伝ってないから適当w)を注ぐ。
そして焼きます。



できあがりー!


とりあえずお役に立てたのか邪魔をしただけなのかは不明だが、楽しくお手伝いを致しました。
次回の投稿ではディナーの写真を載せられると思うのでお楽しみに:)





2016年11月17日木曜日

誰のキャンパスだ? 私たちのキャンパスだ!!! の巻

11月16日の正午、Amherst College #Sanctuary Walkout というイベントが行われた。これは、トランプ氏の「目玉」移民政策である、Undocumented Immigrants(不法移民)の強制送還に対する抗議活動である。イベントの意味は、名前通り、サンクチュアリ=聖域としてのキャンパスを断固保持しよう、というものであった。



色々なオフィスが入るConverse Hallの前に集った数多くの学生たちは、アマースト大学の学生及び教職員の団結、不法移民の学生の保護、社会的弱者や少数者の権利保護を訴えるコールに声を揃えた。(この写真は、集会のほんの一部しかとらえておらず、筆者の左右と背後にもたくさんの学生がいた。)

Undocumented Immigrantsとは、いわゆるビザや滞在ステータスなど、アメリカ国内において滞在を合法とする移民法関連の書類を持っていない移民のことで、アマースト大学にもそのようなステータスの学生が存在する。

もとより、オバマ政権が打ち出した、「米国内の不法移民のうち、親に連れられ、米国に住み着いた若者を国外退去の対象外とする」という移民政策は、保守層からの強い反発を招いていた。トランプ氏は、大統領に就任した暁には、300万人の不法移民を強制退去させる、と公言していたため、彼の選挙勝利後、国内の数々の大学で、本日アマースト大学で行われたような集会が開かれたのである。

今日の集会には、学生だけでなく教職員も参加していたし、これに時間がかぶってしまう授業は開始時間を遅らせたり、キャンセルしたりするなど、大学側のサポートも厚かった。

集会の最後には、中心となって組織した学生たちが書いた嘆願書・宣誓書が読まれた。そこには、①今アマースト大学に在籍する不法移民のステータスについて、米国の移民管理局や警察などの治安機構に一切情報を流さないこと、
②将来のアマースト大学入学者および入学希望者の中の不法移民にも、これまで同様の保護がなされていくこと、
の二つが要求として書かれていた。これは、学生、教職員、学内警備にあたる警察、アマーストコミュニティに出入りするすべての人々にとっての宣誓である。アマースト大学に所属するすべての人間が、ここを聖域として保持していこう、という強い意志の表れだった。

この手紙は学長に届けられ、Thanksgiving 休暇が空けた11月28日(月)までに、大学の公式声明として発表されるかどうかが決まる。

集会を指導した学生たちは、この移民の強制退去やその他様々な権利抑圧に対する抵抗運動が、ここから多様な学生のイニシアティブへとつながっていき、キャンパス内のところどころで起きていくことを願っている、と強く訴えた。


また随時アップデートしていきます。









2016年11月16日水曜日

この危機に際してクリスチャンコミュニティが出来ることとは の巻

 アマーストコミュニティに多大なショックを与えた大統領選挙から二日経ち、生徒たちも呆然自失の状態から、米国と、そしてアマースト大学が抱える問題について少しずつ議論が出来るようになるまで回復してきた。とはいえ、これらの会話はキャンパス内の多様な場所やコンテクストの中で行われており、アマーストの学生の統一的見解はおろか、異なる意見の体系的理解も甚だ難しい状況である。


 だから、今回は、とりあえず私が出入りするアマースト内のコミュニティの一つである、クリスチャンの学生のサークルで話し合われたことをまとめたいと思う。私が通うFirst Baptist Churchには、ファイブカレッジ(*)の学生や、近隣住民も通っているが、その中でもアマースト大学の学生が中心となって、Growth Group (GG)というものを組織し、共に祈ったり、聖書を学んだりする時間を平日夜に設けている。毎週木曜日の21時半~23時半は、このGGのバイブルスタディが行われる。
 ここ数回、日曜礼拝の説教内容に従って、モーセの十戒を一つ一つ細かく見て来たのだが、昨晩のバイブルスタディは、先日の大統領選挙を受けて、急遽、内容変更が行われた。テーマはずばり、「今、クリスチャンのコミュニティに何が求められているのか?」である。
 初めに、選挙やその結果に関する個人の印象や感想を共有した。ある学生は、「何が起きたのかを把握するだけで精一杯で、しばらくぼうっとした」と言い、「ある学生は、とても悲しかったし、選挙を受けて痛みをおぼえている友人たちを見ているのも辛かった」と話した。しかし、そこにいた学生たちの共感を最も呼んだのは、ある女子生徒が選挙結果が判明した瞬間に感じた、「攻撃への恐怖」であった。つまり、世の中の人々は、クリスチャンはみんな保守的で共和党支持者だと思うだろう。そしてこの選挙結果を経て、教会やクリスチャンのコミュニティに対するリベラル勢からの風当たりは以前にも増して強まるだろう。人によっては、自分が信仰を持っていること自体に対しても非難を加えてくるのではないか。という恐怖であった。
 正直言って、このような反応は私には新鮮で、同じ信仰を共有しているにもかかわらずなぜこのような印象の違いが生まれたのだろう、と不思議に思った。

 次に、このような憎しみと分裂に際して、クリスチャンはどう対処すべきか、聖書の中にその答えを探そう、ということになった。新約聖書には、神と人との関係だけでなく、人と人との関係に関する箇所がたくさんある。憎むな、仕返しするな、裁くな、妬むな、、、などなど。
でも、その中でも最も大事なのは、すばり「愛すること」である。
ヨハネによる福音書13章34節にこうある。

あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。
わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。

 これは、最後の晩餐のあと、自分の逮捕と磔刑を覚悟したイェス・キリストが、弟子たちに言った言葉である。イェスにとっては、自分の亡き後、弟子たちがどう生きていくべきかを伝えた遺言のようなメッセージかもしれないが、弟子たちはもっと軽い気持ちで聞いていただろう。
 この箇所を読んで、「なんだ、簡単じゃないか。私にも家族や友達や恋人がいて、その人たちに毎日愛を注いでいるぞ。」と思う読者もいらっしゃるだろう。でも、重要なポイントは「わたしがあなたを愛したように」という部分である。ここには、私の解釈では二つの意味が込められている。
 第一に、イェス(=神)の愛は、見返りを一切求めず、そして尽きることがない。つまり私たちも、「これだけやったのだから、感謝してくれ」とか、「こんな良いことをしたから、自分の評価が上がるだろう」とか、「相手に注いだ分だけの愛を自分にも返してほしい」とか思ってはいけないのである。そして、感謝されなくても、気付いてもらえなくても、愛し続けなくてはいけない。
 第二に、イェスの愛は、善人にtも罪びとにも、味方にも敵にも等しく注がれる。したがって、わたしたちも同様に、自分の陰口を叩く人のために祈り、家族を傷つけた人を許し、そして愛さなければいけない、ということである。

 急にこの掟がとても難しいものに思えて来ただろう。でも、神が人間のために示したのは、この愛の究極的な形なのである。つまり愛する独り子をこの世に送り、全く罪がないのに十字架刑という最も残酷な形で殺した。それは、一にも二にも、本当は死刑になるべき私たちの罪が赦され、愛とはどういうことかを教えるためであった。

 選挙を経て、米国内の亀裂と、それに伴うネガティブな感情はさらに悪化している。トランプ氏の勝利によって、ホモフォビック、ゼノフォビックな言説が正統性を持ったと勘違いした人々が、マイノリティに対して攻撃的な言動をしている。それに対して、「リベラル」なコミュニティも敵意をもって対応している。トランプの大統領就任に対する抗議運動には、民主的な意見表明の枠を超えた攻撃性と憎しみが見え隠れしている。

 このような危機に際して、クリスチャンができるのは「愛する」ということだけなのかもしれない。愛する、とは、愛せる相手に愛を注ぐという自然発生的な感情による行為ではなく、到底愛せなさそうな相手をも愛する、という積極的な意志による行為である。わたしは、クリスチャンとして、悲しみの中にある者に寄り添うのと共に、彼らを悲しみに追い込んだ者のために祈りたい、と思う。

 最後に、バイブルスタディでも皆で読んだ、ヨハネの手紙1 4:18-21を引用したい。

愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します。・・・わたしたちが愛するのは、神がまず私たちを愛してくださったからです。「神を愛している」と言いながら兄弟を憎む者がいれば、それは偽り者です。目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません。
神を愛する人は、兄弟をも愛すべきです。これが神から受けた掟です。






* Five College: アマースト近隣にあるUniversity of Massachusetts Amherst, Hampshire College, Mount Holyoke College, Smith College, そしてAmherst Collegeの5大学を指す。これらの大学はFive College Consortiumという単位互換制度をはじめ、学問的領域の内外で積極的で緊密な交流をしている。 

2016年11月11日金曜日

大統領選挙について の巻

 火曜日に行われた大統領選挙の結果は、アマーストのコミュニティに言葉を失わせるほどの大きなショックを与えた。圧倒的にリベラルな環境で、同じ意見を持つ者同士が集まり、自分たちの信条をどんどん強めていたわけだから、現実の選挙で全く逆の結果が出たのは、まさにここの学生たちの世界観がひっくり返されたことに等しい。

 選挙のパブリックビューイングには、全学生の約4分の1にあたる450人もの学生が集まり、固唾を飲んでテレビ中継を見ていたという。私は、数人の友人と共に、その一人の部屋に集まってテレビを見ていた。州ごとの結果が出そろって来ると、冗談交じりに「トランプ優勢だね~」と笑っていたのが、次第に胸騒ぎに変わっていき、最後のほうは切望的な雰囲気に包まれていた。
 この友人たちは、私を含めて、PoC(People of Color =白人ではない人種)であり、また移民の家族であり、この大統領選挙の結果が長期的にどのように自分たちの生活に影響を及ぼしてくるのか、という言葉にしがたい不安に襲われていた。

 翌日のアマースト大学のキャンパスは、お通夜のような雰囲気だった。曇天も手伝ってか、学生たちの表情は暗く、うつむきがちで、友人と目を合わせても弱弱しく微笑むだけ。ある友達は「今日の雰囲気では、笑うことさえも不謹慎な気がした」と言っていた。

 夜には、学長が緊急集会を開き、30分ほどのスピーチを行った。詳しい内容は、また別の回で紹介したいと思うが、彼女は必ずしも大統領選のことだけを話したわけではなかった。むしろ、大統領選で見られたような、米国内の分裂が、アマーストのコミュニティのレベルでも起きており、それを対話と相互理解の努力によって乗り越えられる能力を持っている私たちは、その能力を行使していく義務と責任がある、と訴えていた。このスピーチをどう捉えたかは、学生によって様々だが、アマーストで支配的なリベラルな言説が、それ以外の言説を抑圧し、異なる政治的意見との交流を全く阻害していた、という現実をとても雄弁に物語っていたと思う。

 アリストテレスは、理性や知恵の「所有」よりもその「行使」を重視した。この「リベラル」で「エリート」な共同体が、単にその社会的イメージに鎮座するのか、持ちうる知的な力と声を総動員して向き合うのかが、今のような社会的危機の時にこそ試されているのだと思う。