2016年11月25日金曜日

はじめてのThanksgiving体験(1) の巻

 さてさて、アメリカにはThanksgivingという、大きな行事がある。みなさんもご存知だろう。ターキーの丸焼きとアップルパイがすぐに思い浮かぶのではないだろうか。

 そもそも、サンクスギビングとは「収穫感謝祭」の意味である。毎年11月の第四木曜日に行われ、今年は24日が感謝祭。17世紀前半、イギリスからアメリカ大陸に渡ったピルグリムたちが寒さと飢えで困り果てたときに、彼らを助けたのがネイティブアメリカンたち。その土地を知り尽くした彼らのノウハウによって、イギリス人入植者たちは次の年の秋に多くの食べ物を収穫することができた。それに感謝して、ネイティブアメリカンを収穫後の祝宴に招いたがサンクスギビングの由来である。国民の祝日となったのはリンカーンが大統領になったとき、らしいよ。
(詳しくはこちらを読んでみてください)

 さてさて、アマーストはこのサンクスギビングに際して、一週間超休講になる(ここまで長期の休みになるのは、大学の中では結構珍しいことらしい。)
通常、このような休みの際、実家に簡単に帰れないインターナショナルスチューデンツはキャンパスに残るか、旅行に行くかするのだが、わたしは幸運なことに、コネチカット州に実家があるアマーストの友人が「うちにホームステイしてアメリカのサンクスギビングを体験しなよ!」と誘ってくれた。ので、そのオファーに感謝して、ご厚意に甘えることにした。


 ということで!人生初のサンクスギビング体験!サンクスギビングの目玉はやはり特別な食事であり、私も友達のお母さんと一緒にキッチンに立っていろいろお手伝いさせてもらったので、その様子をちょっくらご紹介できたら、と思っている。今回の投稿では、前日の水曜日に作ったものを紹介!

 まずは、ローストターキーを美味しく食べるには欠かせないクランベリーソース作り。日本ではなかなか見ることのできない生のクランベリーだが、こちらでは特に感謝祭からクリスマスにかけてよく使われるので、スーパーでビニール袋に入ってふつうに売っている。
洗って傷んだ実を取り除いたら、水と砂糖とオレンジピールとショウガのみじん切りを煮立たせた鍋に、ばさーっとクランベリーを投入。

投入時


15~20分くらいで、クランベリーの皮がぷちぷち弾ける音が聞こえてくる

完成間近。オレンジのいい香りがする。

ビンに入れて、冷蔵庫へ!
もっと実のかたちがなくなるまで煮込むのかと思ったら結構あっさり仕上げていました。一番スタンダードなレシピは、水と砂糖のみだが、レモンとショウガが入ることでエッジの効いた仕上がりになった(伝わってほしい)。


そして、手間のかかるパイも前日に焼いてしまう!サンクスギビングで食べるパイと言えばアップルパイかパンプキンパイなのだが、木曜日のディナーに来るお客さんがアップルパイを持ってきてくれるということで、パンプキンパイを作った。




ベイキング経験ほぼゼロの私にとってパイづくりなど縁遠いと思っていたのだが、、、

割とうまく生地が伸ばせて、かつ淵の模様もけっこう上手に出来たのでご満悦。

まずはこのパイ生地のみを、オーブンで焼きます。


そこにパンプキンピューレとか牛乳とか卵とかまぜたやつ(←こっち手伝ってないから適当w)を注ぐ。
そして焼きます。



できあがりー!


とりあえずお役に立てたのか邪魔をしただけなのかは不明だが、楽しくお手伝いを致しました。
次回の投稿ではディナーの写真を載せられると思うのでお楽しみに:)





2016年11月17日木曜日

誰のキャンパスだ? 私たちのキャンパスだ!!! の巻

11月16日の正午、Amherst College #Sanctuary Walkout というイベントが行われた。これは、トランプ氏の「目玉」移民政策である、Undocumented Immigrants(不法移民)の強制送還に対する抗議活動である。イベントの意味は、名前通り、サンクチュアリ=聖域としてのキャンパスを断固保持しよう、というものであった。



色々なオフィスが入るConverse Hallの前に集った数多くの学生たちは、アマースト大学の学生及び教職員の団結、不法移民の学生の保護、社会的弱者や少数者の権利保護を訴えるコールに声を揃えた。(この写真は、集会のほんの一部しかとらえておらず、筆者の左右と背後にもたくさんの学生がいた。)

Undocumented Immigrantsとは、いわゆるビザや滞在ステータスなど、アメリカ国内において滞在を合法とする移民法関連の書類を持っていない移民のことで、アマースト大学にもそのようなステータスの学生が存在する。

もとより、オバマ政権が打ち出した、「米国内の不法移民のうち、親に連れられ、米国に住み着いた若者を国外退去の対象外とする」という移民政策は、保守層からの強い反発を招いていた。トランプ氏は、大統領に就任した暁には、300万人の不法移民を強制退去させる、と公言していたため、彼の選挙勝利後、国内の数々の大学で、本日アマースト大学で行われたような集会が開かれたのである。

今日の集会には、学生だけでなく教職員も参加していたし、これに時間がかぶってしまう授業は開始時間を遅らせたり、キャンセルしたりするなど、大学側のサポートも厚かった。

集会の最後には、中心となって組織した学生たちが書いた嘆願書・宣誓書が読まれた。そこには、①今アマースト大学に在籍する不法移民のステータスについて、米国の移民管理局や警察などの治安機構に一切情報を流さないこと、
②将来のアマースト大学入学者および入学希望者の中の不法移民にも、これまで同様の保護がなされていくこと、
の二つが要求として書かれていた。これは、学生、教職員、学内警備にあたる警察、アマーストコミュニティに出入りするすべての人々にとっての宣誓である。アマースト大学に所属するすべての人間が、ここを聖域として保持していこう、という強い意志の表れだった。

この手紙は学長に届けられ、Thanksgiving 休暇が空けた11月28日(月)までに、大学の公式声明として発表されるかどうかが決まる。

集会を指導した学生たちは、この移民の強制退去やその他様々な権利抑圧に対する抵抗運動が、ここから多様な学生のイニシアティブへとつながっていき、キャンパス内のところどころで起きていくことを願っている、と強く訴えた。


また随時アップデートしていきます。









2016年11月16日水曜日

この危機に際してクリスチャンコミュニティが出来ることとは の巻

 アマーストコミュニティに多大なショックを与えた大統領選挙から二日経ち、生徒たちも呆然自失の状態から、米国と、そしてアマースト大学が抱える問題について少しずつ議論が出来るようになるまで回復してきた。とはいえ、これらの会話はキャンパス内の多様な場所やコンテクストの中で行われており、アマーストの学生の統一的見解はおろか、異なる意見の体系的理解も甚だ難しい状況である。


 だから、今回は、とりあえず私が出入りするアマースト内のコミュニティの一つである、クリスチャンの学生のサークルで話し合われたことをまとめたいと思う。私が通うFirst Baptist Churchには、ファイブカレッジ(*)の学生や、近隣住民も通っているが、その中でもアマースト大学の学生が中心となって、Growth Group (GG)というものを組織し、共に祈ったり、聖書を学んだりする時間を平日夜に設けている。毎週木曜日の21時半~23時半は、このGGのバイブルスタディが行われる。
 ここ数回、日曜礼拝の説教内容に従って、モーセの十戒を一つ一つ細かく見て来たのだが、昨晩のバイブルスタディは、先日の大統領選挙を受けて、急遽、内容変更が行われた。テーマはずばり、「今、クリスチャンのコミュニティに何が求められているのか?」である。
 初めに、選挙やその結果に関する個人の印象や感想を共有した。ある学生は、「何が起きたのかを把握するだけで精一杯で、しばらくぼうっとした」と言い、「ある学生は、とても悲しかったし、選挙を受けて痛みをおぼえている友人たちを見ているのも辛かった」と話した。しかし、そこにいた学生たちの共感を最も呼んだのは、ある女子生徒が選挙結果が判明した瞬間に感じた、「攻撃への恐怖」であった。つまり、世の中の人々は、クリスチャンはみんな保守的で共和党支持者だと思うだろう。そしてこの選挙結果を経て、教会やクリスチャンのコミュニティに対するリベラル勢からの風当たりは以前にも増して強まるだろう。人によっては、自分が信仰を持っていること自体に対しても非難を加えてくるのではないか。という恐怖であった。
 正直言って、このような反応は私には新鮮で、同じ信仰を共有しているにもかかわらずなぜこのような印象の違いが生まれたのだろう、と不思議に思った。

 次に、このような憎しみと分裂に際して、クリスチャンはどう対処すべきか、聖書の中にその答えを探そう、ということになった。新約聖書には、神と人との関係だけでなく、人と人との関係に関する箇所がたくさんある。憎むな、仕返しするな、裁くな、妬むな、、、などなど。
でも、その中でも最も大事なのは、すばり「愛すること」である。
ヨハネによる福音書13章34節にこうある。

あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。
わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。

 これは、最後の晩餐のあと、自分の逮捕と磔刑を覚悟したイェス・キリストが、弟子たちに言った言葉である。イェスにとっては、自分の亡き後、弟子たちがどう生きていくべきかを伝えた遺言のようなメッセージかもしれないが、弟子たちはもっと軽い気持ちで聞いていただろう。
 この箇所を読んで、「なんだ、簡単じゃないか。私にも家族や友達や恋人がいて、その人たちに毎日愛を注いでいるぞ。」と思う読者もいらっしゃるだろう。でも、重要なポイントは「わたしがあなたを愛したように」という部分である。ここには、私の解釈では二つの意味が込められている。
 第一に、イェス(=神)の愛は、見返りを一切求めず、そして尽きることがない。つまり私たちも、「これだけやったのだから、感謝してくれ」とか、「こんな良いことをしたから、自分の評価が上がるだろう」とか、「相手に注いだ分だけの愛を自分にも返してほしい」とか思ってはいけないのである。そして、感謝されなくても、気付いてもらえなくても、愛し続けなくてはいけない。
 第二に、イェスの愛は、善人にtも罪びとにも、味方にも敵にも等しく注がれる。したがって、わたしたちも同様に、自分の陰口を叩く人のために祈り、家族を傷つけた人を許し、そして愛さなければいけない、ということである。

 急にこの掟がとても難しいものに思えて来ただろう。でも、神が人間のために示したのは、この愛の究極的な形なのである。つまり愛する独り子をこの世に送り、全く罪がないのに十字架刑という最も残酷な形で殺した。それは、一にも二にも、本当は死刑になるべき私たちの罪が赦され、愛とはどういうことかを教えるためであった。

 選挙を経て、米国内の亀裂と、それに伴うネガティブな感情はさらに悪化している。トランプ氏の勝利によって、ホモフォビック、ゼノフォビックな言説が正統性を持ったと勘違いした人々が、マイノリティに対して攻撃的な言動をしている。それに対して、「リベラル」なコミュニティも敵意をもって対応している。トランプの大統領就任に対する抗議運動には、民主的な意見表明の枠を超えた攻撃性と憎しみが見え隠れしている。

 このような危機に際して、クリスチャンができるのは「愛する」ということだけなのかもしれない。愛する、とは、愛せる相手に愛を注ぐという自然発生的な感情による行為ではなく、到底愛せなさそうな相手をも愛する、という積極的な意志による行為である。わたしは、クリスチャンとして、悲しみの中にある者に寄り添うのと共に、彼らを悲しみに追い込んだ者のために祈りたい、と思う。

 最後に、バイブルスタディでも皆で読んだ、ヨハネの手紙1 4:18-21を引用したい。

愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します。・・・わたしたちが愛するのは、神がまず私たちを愛してくださったからです。「神を愛している」と言いながら兄弟を憎む者がいれば、それは偽り者です。目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません。
神を愛する人は、兄弟をも愛すべきです。これが神から受けた掟です。






* Five College: アマースト近隣にあるUniversity of Massachusetts Amherst, Hampshire College, Mount Holyoke College, Smith College, そしてAmherst Collegeの5大学を指す。これらの大学はFive College Consortiumという単位互換制度をはじめ、学問的領域の内外で積極的で緊密な交流をしている。 

2016年11月11日金曜日

大統領選挙について の巻

 火曜日に行われた大統領選挙の結果は、アマーストのコミュニティに言葉を失わせるほどの大きなショックを与えた。圧倒的にリベラルな環境で、同じ意見を持つ者同士が集まり、自分たちの信条をどんどん強めていたわけだから、現実の選挙で全く逆の結果が出たのは、まさにここの学生たちの世界観がひっくり返されたことに等しい。

 選挙のパブリックビューイングには、全学生の約4分の1にあたる450人もの学生が集まり、固唾を飲んでテレビ中継を見ていたという。私は、数人の友人と共に、その一人の部屋に集まってテレビを見ていた。州ごとの結果が出そろって来ると、冗談交じりに「トランプ優勢だね~」と笑っていたのが、次第に胸騒ぎに変わっていき、最後のほうは切望的な雰囲気に包まれていた。
 この友人たちは、私を含めて、PoC(People of Color =白人ではない人種)であり、また移民の家族であり、この大統領選挙の結果が長期的にどのように自分たちの生活に影響を及ぼしてくるのか、という言葉にしがたい不安に襲われていた。

 翌日のアマースト大学のキャンパスは、お通夜のような雰囲気だった。曇天も手伝ってか、学生たちの表情は暗く、うつむきがちで、友人と目を合わせても弱弱しく微笑むだけ。ある友達は「今日の雰囲気では、笑うことさえも不謹慎な気がした」と言っていた。

 夜には、学長が緊急集会を開き、30分ほどのスピーチを行った。詳しい内容は、また別の回で紹介したいと思うが、彼女は必ずしも大統領選のことだけを話したわけではなかった。むしろ、大統領選で見られたような、米国内の分裂が、アマーストのコミュニティのレベルでも起きており、それを対話と相互理解の努力によって乗り越えられる能力を持っている私たちは、その能力を行使していく義務と責任がある、と訴えていた。このスピーチをどう捉えたかは、学生によって様々だが、アマーストで支配的なリベラルな言説が、それ以外の言説を抑圧し、異なる政治的意見との交流を全く阻害していた、という現実をとても雄弁に物語っていたと思う。

 アリストテレスは、理性や知恵の「所有」よりもその「行使」を重視した。この「リベラル」で「エリート」な共同体が、単にその社会的イメージに鎮座するのか、持ちうる知的な力と声を総動員して向き合うのかが、今のような社会的危機の時にこそ試されているのだと思う。

2016年10月29日土曜日

ボストンへのプチトリップ!(2) の巻

前回の投稿では、ボストンで開かれた模擬国連のカンファレンスについて紹介したので、今回の投稿はもっと楽しいことを書こうと思う。笑

ボストン滞在中、割と自由な時間があったので(というか、自由な時間を作り出したので笑)、①ハーバード大学、②クインシーマーケット、そして③ダウンタウンに行ってきました。


移動はぜんぶ地下鉄。不慣れなところで公共交通機関を使うのはいつもドキドキするが、東京のメトロシステムほど複雑なものはないので、ボストンには二日間もいればすぐに容易に電車に乗れるようになる。
地下鉄のラインは全部色で分けられており、街の中心に向かうものはInbound、外に向かうものはOutboundと呼ばれる。従って、どの電車に乗るか、を表現する際は、Orange Line, Inboundとか、Green Line, Outboundとか言う。そう、かなり簡単なのである。



と、いうことで、ボストン市内観光に出発しよう!

①ハーバード大学

まず、ホテルはOrange line のBack Bay、もしくはGreen line のArlingtonが最寄り。かなり便利な立地なのでどこへでも行きやすかった。

Harvard Square StationはRed line の上のほう(終点Alewifeより三駅市内寄り)なので、まずGreen line, InboundでPark Stまで行き、そこからRed line, Outbound to Alewifeでハーバードへ向かった。


でーん
大学名がそのまま駅名ってすごくない?!?!とか一瞬思ったのだが、日本にもいっぱいそういう駅あるなって思い出して冷静になった。

実は、UPennで同じく交換留学をしていたオーストラリア人学生のJeremyくんが、ハーバードでvisiting studentとして学んでおり、感動の再会を果たすのが一番の目的でした。

留学から二年経って、それぞれオーストラリアと日本に住む者同士がボストンで再会するって、なんだか不思議な感覚だけど、とても嬉しかった。



昼食をとったあと、Jeremyがハーバードの図書館に連れて行ってくれて、数時間勉強した(笑)
どこへ行っても課題に付きまとわれるっていう、ザ・アメリカの大学生ライフ、心からエンジョイしてるので皆さん心配しないでね。
それにしても綺麗なリーディングルームだった、、、






午後4時ごろ、Jeremyと別れて(すんごいさっぱりした別れでした笑)、私のボストンで一番お気に入りの場所、クインシーマーケットへ!

②クインシーマーケット
これは、昔の食肉加工場をフードコートに改築した建物で、ボストン名物のクラムチャウダーやロブスターから、フライドチキンやマッックアンドチーズなどのソウルフード、チャイニーズ、多種多様なデザートまで売っている。ここに来るのは3回目だが、やっぱり賑やかで、あったかくて、いいな~と思った。美味しい食べ物が集まるところは、自然と笑顔になるような雰囲気に包まれるんですね。

←クインシーマーケットの中
縦にながーい建物で、両脇にさまざまな食べ物屋さんが入っている。













名物のbread bowl clam chowder →

かなりどろっとしていて、しかも具沢山(ほぼジャガイモだけど笑)、おなか一杯になる。この日は夕方から結構涼しくなったので、体があったまって丁度良かったです。サンフランシスコにも同じようにパンをくりぬいてクラムチャウダーを入れた食べ物があるが、ボストンのとは違ってサワードウという、酸味のあるパンを使用している。









ロブスター食べたかったけど、高かった($30くらい)ので諦めました(笑)


③ダウンタウンエリア
翌日も時間があったので、ボストン観光!と思ったんだけど、授業のために本を一冊読み終わらなければならなかったので、アマースト大学の友人と共に、「せめておしゃれなカフェで勉強しよう(涙)」と話し合って、ダウンタウンエリアに繰り出した。
と、いうことで、行ったカフェのサラダ美味しかった、、、、なんで同じ生野菜の組み合わせなのに自分で作るのとこんなに差があるのか、、
ルッコラとベーコンビッツ(カリカリにしたベーコンのみじん切り)とゆで卵、ビネグレットドレッシング。これ食べにまたボストン戻りたい。笑。





そして、ちゃんとリーディングもしたよ。テーブルの色と相まってなんか可愛かったから撮ってみた。






ということで、やっぱおしゃれなカフェがいっぱいあるという点だけでも、都会っていいな~って思いました。東京にずっと住んでいて、当たり前のようにその利便性を享受していたけど、一回アマーストにすっこんでから再び都会に出て来て、改めて私のcity loveを確認しました。




余談なのだが、今回泊まったホテル40 Berkleyは、2014年11月にボストンキャリアフォーラムへ行った際に友人と宿泊したホテルだった。もちろん偶然なのだが、一日目にホテルに到着した瞬間二年前の思い出が一気にあふれ出て来て、懐かしく切ない気分になりました。





                               近づくとこんな感じ


2016年10月16日日曜日

ボストンへのプチトリップ!(1) の巻

最近忙しすぎてぜんぜん投稿をしていなかった、、、(いや忙しいというのは常に言い訳で、時間は作ろうと思えば作れるのだが、単にその気がなかった笑)


と、いうことで、今、模擬国連のカンファレンスのためにボストンにおります!
Bar MUN(Boston Area Model United Nations) という名前のこのカンファレンスは、ボストン大学の模擬国連サークルが、ボストン周辺にある大学を招いて毎年行っている。

会場は、Questrom School of Business ↓↓
ボストン大学のビジネススクールで、ボストン市内中心部にそびえる大きなビルヂングである。

アマーストからはPeter Panというバスを利用して来たのだが、ボストン市内に入ったときの言い様のない安心感といったら、、、!
ここに来るまで気付かなかったけど、東京生まれ東京育ちの私は、無意識にシティライフを恋しがってたのだと思う。笑。




さてさて、本題に戻ろう。
みなさんは模擬国連と聞いて何を思い浮かべるだろうか?
本物の国連総会さながらの巨大なカンファレンスルーム。世界各国の名前が書かれたプレート。
びしっとスーツで決めた若者たちが、紛争や飢餓などのグローバルな危機について、割り当てられた国の視点から真剣に意見を戦わせる。



そう、こういうのとか、


こういうやつ!!!



しかしながら、今回私が参加したBarMUNは、国連総会ではなく、委員会を再現するカンファレンスである。国連における委員会とは、国連の無数にある下部組織の一部で、麻薬取り締まり、武器輸出、発展途上国における農業などなど、特定のトピックについて、より詳細で専門的な話し合い・取り決めが行われる場所である。

つまり、上の写真のように、各大学が「国を代表する」ということはなく、各生徒が、委員会に所属する「個人」をロールプレイすることになる。

BarMUNの委員会には、Modern Committees とHistorical Committeesの二つがある。前者が現在進行中の問題を取り扱うのに対し、後者は過去に存在した問題について話し合う。双方とも実在の問題・危機を取り扱い、かつ、生徒が演じる人物もノンフィクションだが、必ずしも国連の委員会として実在するわけではない。
後者の例として、The OSS 1944という委員会は、戦後に枢軸国側の科学者をどのように取り扱うべきかを話し合っていた、連合国側のインテリジェンスユニットを模したものである。従って、この委員会は、1944年に起きているという設定で進められる。この委員会はもちろん国連の組織ではなく、米国が中心になって設立された組織である(そもそもこの時、国連は存在しないしね!!!)


この説明だと「なんだかんだ言って面白そうじゃん!歴史ものの映画みたいだし」とか思うでしょう??私が割り当てられた委員会の話を聞いてほしい。

私が配属された委員会の名前はJCC Coastal Divides - Bad Boy Records vs. Death Row Records。私の第一印象は、「ん、、、??なぜレコード会社?しかも会社名どした??」
JCCとはJoint Crisis Committee(連帯危機委員会)の略なので、まあいいとしよう。Coastal Dividesとは、米国の西海岸と東海岸の対立を指す。それで、何が対立しているのかといえば、1990年代に米国のヒップホップ・ラップ業界で支配的だった、上記の二つのレコード会社なのである。NYのハーレムに拠点を置き、東海岸を代表するBad Boy Recordsに対するは、LAに拠点を置く西海岸代表のDeath Row Records ("death row"とは、死刑宣告され、執行待ちする犯罪者のリストのことである)。
二つのレコード会社は、それぞれの海岸を代表し、かつ全国展開を望んだために、もともともライバル関係にあったが、お互いを誹謗中傷するような歌詞のある曲をリリースしたり、それぞれのファンが相手方のファンに暴力行為を働くなど、対立を深めていった。1990年代半ばには、双方の創立者(B.I.GとTupac)が何者かに暗殺されるまでに争いは激化する。

この委員会は、この対立が激化する直前の1993年に起きているという設定で進行する。委員会が設立された(表向きの)理由は、「両会社間の対立を緩和し、米国におけるヒップホップの評価や価値を協働して高めて行けるようにしよう」というものだが、各会社は自分たちの利益を最優先するし、同じ会社内でも色んな利害が錯綜するので、そんな穏健な結末はなかなか実現しそうにない。

生徒たちが割り当てられる役は、実際のヒップホップアーティスト(私が聞いたことあったのはSnoop Dog とLauren Hillだけ)や、会社付きの代理人、税理士など。
私の役は、Death Row Recordsのスカウトマンだった。笑。普段こういう音楽聴かないから、Youtubeで委員会に参加するアーティストの曲を検索しまくって勉強しました。




まあとりあえず一生懸命説明してはみたけど、よくわからないでしょう?私もよくわからない。未だに笑

とりあえず実際の国連ではこんなトピック絶対に取り扱わないし、私が模擬国連に入ってわざわざボストンまで来て何時間も話し合いたかったトピックではない、ということだけ伝わればうれしいです。



(←全ての委員会が終了した直後のロビー。)


まあ何はともあれ、委員会には参加したんだけど、一番面白いのは、各生徒が口角泡飛ばしながら「ヒップホップの精神は!!」とか語ってる割には、委員会メンバーに黒人の生徒が一人もいない、という事実。つまり、この音楽ジャンルがそもそも生まれてきたルーツを、身を以て理解している人が誰もいなかった。
白人からの抑圧(警官による黒人に対する無差別暴力など)への反動として生まれたという起源のために、ある程度の暴力性を潜在させるこのジャンルは、その抑圧を今も感じながら生きているマイノリティの声があって初めて議論の対象になるんじゃないかな、、、とか思ったのだけど。

正直に言えば、この委員会に参加することの意味を見いだせなかったので、嫌みっぽいことを考えていただけかもしれない。笑。



まあ総じてボストン滞在は楽しかったので、それについは回を改めて投稿したいと思います。





ホテルへ帰る電車の中で。窓に映るは、疲れ果てた筆者とその仲間たち。




2016年10月3日月曜日

最近覚えたスラング、ネット用語(2) の巻

スラング紹介その弐。完全にブログ書いているのが完全にprocrastination(サボり、、、?いい訳がない笑)になっている今日この頃。安心してください、ちゃんと勉強もしてますよ。1日10時間図書館にいるとか、最近ザラなので(涙)。


はい、というわけで。
Advanced Level: 1~4は話し言葉でも使うが、5以降のアルファベットのものはtextingで使われる省略形で、話し言葉で使うことはほぼないです。

1. tipsy
ex. I got a bit tipsy last night.

2. pass out
ex. There was a huge guy passed out in front of my dorm.

3. swamped
ex. I'm so swamped with lots of work....

4. pain in the ass
ex. That procedure sounds like a pain in the ass.

5. JK
ex. I got hit by a car. jk.


6. IDK
ex. idk if you heard about this, but they broke up.

7. FYI
ex. FYI, the bus departs every 30 minutes.

.8. ETA
ex. tell me your eta.

9. JW
ex.  what are you doing now? jw.

10. TBH
ex. tbh, I know nothing about this shit.


答え 
1. ほろ酔い状態のこと。drunk(酔っ払い)ではないけど、お酒が入ってふわふわしてる感じ。一番たのしい状態ですね。

2. これはぜんぜん楽しくない。酔っぱらって意識を失うことをpass outと言う。使用例は、「私の寮の前で、でっかい男が酔いつぶれてた」という風になる。
アマーストでも毎週末(木曜の夜~土曜の夜)パーティがどこかの寮で行われていて、大音量の音楽と酔っ払いの雄叫びが聞こえる。楽しそうなのは結構だけど、自力で自分の部屋に辿りつけるくらいには酒量コントロールしようね☆

3. swampは、もともと(部屋などが)水浸しになる、という意味と、(手紙・仕事などが)どっと押し寄せるという意味があって、使用例は後者の意味で使われている。つまり、「宿題が多すぎていっぱいいっぱいだ」という訳になる。これは、"what's up?" "just swamped with work"という通りすがりの3秒会話でよく聞かれる。

4. 文字通りの意味だと「ケツの痛み」という風になるが、うっとうしいこと、面倒くさいことを指して使われる。日本語だと「だるい」みたいな感じ。使用例は「なんか手続きがだるそうだね」という感じ。

5. Just kiddingの略。使用例は「今日車がぶつかってきた。うそぴょん。」という感じ。どうでもいい嘘ついてるんじゃねえよ、データの無駄遣いだよ、というような内容によく使われる。

6. I don't knowの略。使用例は「聞いたかどうか知らないけど、彼ら別れたんだよ」という感じ。話し言葉では「アイ・ディー・ケー」とは言わず、ふつうに「アイドンノー」と言います。

7. これはフェイスブックのイベントページやメールなどで多用されてて、なるほど!と思ったのだが、For your informationの略である。日本語だと、「一応言っておくと」とか「知っておいてほしいんだけど」という感じ。使用例は「一応伝えておくと、バスは30分ごとに来るよ」という意味。これは話し言葉でも「エフ・ワイ・アイ」と言って使います。

8. これも、にゃるほどね!って思ったのだが、estimated time of arrivalの略である。使用例は「大体何時くらいに着くか教えて~」という意味。ETAを使わずにこれを言おうとすると、"Can you tell me around what time you'll arrive?"とか"Do you know how long it'll take you to get there?"とか、まあまあ長い文章になるので、"what's your eta?"と短く聞けるのは、特にスマホでテキストを打つ時は便利である。

9. これは、Just wonderingの略。「ちょっと気になっただけ」とか「いや、特に意味はないんだけど」という訳になる。使用例は、テキストで「ねえ、今何してるの??別に用事はないんだけど」という感じ。でも、日本語と一緒で、特に意味もなく何してるか聞いたりはしないもので、大体なにかしらの意図があるのを隠すために、"jw"と取ってつけたように付け加えている場合も多い。使用例だったら、例えばすごい面倒くさい頼み事をしようとしている、とか、あわよくばデートに誘いたいと思っている、とか笑

10. To be honestの略。「正直言って」「実際」みたいな感じ。使用例は、「ぶっちゃけ私これについて何も知らないんだよね」という意味。ちなみに、shitはthingとほぼ同義で使われる。確かにあまり美しい言葉ではないが、トランプのジョーカーのようにオールマイティーに使えるので便利だ。
"I really need to get this shit done"(まじでこの宿題終わらせないとやばい)とか、
"He has his shit together"(彼は考えがしっかりまとまってる)とか、
"i don't give a shit about this guy"(この男のことなんかもう気にしてない)とか、
"shit!!!!!"(くそっ!!!!)とか。
shitを使いこなせるのはかなりの上級者なので、読者のみなさんはとりあえずTBHを覚えてください笑



スラングをさらっと会話で使えるようになると、メリケン感が増して気分がいいので、今後も頑張って習得していこうと思っている。読者のみなさんの中で、「こんなスラング知ってる!」とか「この言い回し知っておくと便利!」というようなのがあれば、どんどんコメントしてください~



南スーダンの内戦に対する政治的・軍事的介入と、人道的介入に関するペーパーを書かなければいけないんだが、アフリカ人の名前を覚えられなくて毎回「この人誰だっけ」ってなるから全然前に進まない。

2016年10月1日土曜日

最近覚えたスラング、ネット用語 の巻


留学することのいいところは、日常的に同世代の人々が使っている言葉を覚えられることだ。特に、texting(スマホなどのメッセージ、メール)から学ぶスラングがとても多い。
楽しいからクイズ形式で紹介します。使用例から意味を推測してね☆


Introductory Level: まずはベーシックなものから。これらは、前回の留学で学んだものを含む。
(Advanced Levelは次回の投稿で)


1. OMG
ex. OMG, your dress is so pretty!!

2. ASAP
ex. Can you respond my email ASAP?

3. Yaaaasssss!!
ex. I'm turning 21 in three days yaaaaassssss!!!

4. LOL/LMAO
ex. I was stuck in the library all day lol

5. srsly
ex. You're done with your work? srsly??

6. fu*k up
ex. I really fucked up the quiz.

7. nailed it
ex. Your performance was amazing! You nailed it!

8. sick
ex. Bro, you've got sick dance moves


答え
1. Oh My God を文字化したもの。しゃべるときは大体「オマガッ」と発音される。本来は、何か重大なことが起きたときに「どうしよう!!」とか「困った!!」とかいう意味で使われるべきなんだが、日常的には、使用例のような割とどうでもいいことに対してオマガッと言うことの方が多い。使用例は、「やば!今日のドレスまじでかわいいね!」

2. As Soon As Possibleの略。「できるだけ早く」という意味で、これは話し言葉でも「エイサップ」と発音され、使用される。使用例は、「なるべく早く返信もらえますか」。

3. 「いぇーい!!」という喜びの叫び。a と sの数は適当だが、喜び度が高ければ高いほど増える傾向がある。話し言葉でも、yes(イェス)と区別され、「いやあああああああああす!」と発音される。使用例は「あと3日で21歳だ、わーーーーーーーい!!!」(アメリカは飲酒・喫煙が合法になるのが21歳なので、21歳の誕生日は結構大きいイベント。)

4. Laughing Out Loud/Laughing My Ass Off の略。話し言葉ではほとんど使われないが、たまに使う人もいる。文字通り「大笑い」を表し、日本語の(笑)と同様に文の最後に使われる。ただ、アメリカにはsarcasm(皮肉)という文化があり、使用例のように本来ぜんぜん笑えない状況(「一日中図書館で勉強してたわ笑」)にLOLを使うこともある。LMAOは「マジうけんだけどwww」レベルの面白さの時に使う。

5. "Seriously"の省略形。ガチで、マジで、の意味。使用例は、「え、もう宿題終わったの?マジで??」となる。"I srsly need your help now"(今本当にあなたの助けが必要)というように、あまりアホっぽくない使い方もある。

6. 「失敗する」の意味。日本語だと「しくった、ミスった」に近いと思う。使用例は、「小テスト、完全にしくった」となる。ちなみに、こちらではtest, exam, quizの使い分けが結構絶妙で、testは日本で使用されるような(勉強の)「試験」ではなく、どちらかというとblood testのような「検査」を意味する場合が多い。examは、定期試験や入試のような大きな試験を指し、quizは授業にで行われる小テストや確認テストなどを指す。

7. 文字通りの意味は「釘を打つ」だが、ここでは何かがばっちり決まったとき、成功したときに使う。「すごいね!」「うまくいったね!」という感じ。使用例は、「君のパフォーマンス最高だったよ!バッチリだったね!」となる。ただ、sarcasticな用法もあって"I nailed the exam"と言われたときは「バッチリうまく行った」なのか「全然問題が解けなかった」なのか、文脈や話し方から推測する必要がある。

8. 風邪をひいてるわけではない。「イケてる」とか「かっこいい」という意味で使われる。もともとはイギリスのスラングだと思うが(少なくともUPennでは、イギリス人しか使ってなかった)、アマーストでは割とみんな使っている。"cool"とほぼ同じ用法。使用例は、「お前のダンス、マジでイカすな」の意味。




英語を授業内でしか使って来なかった身としては、学術的な用語はわかってもこういうスラングを知らない、ということが多々あるので、英語圏で暮らして毎日新たなボキャブラリーが増えていくのは楽しいことである。最近は変なプライドもなくなって、知らないスラングが出てきたときは開き直って「それどういう意味?」と聞けるようになったし、周りの人も「なんでこれを知らないんだよ笑」と軽くネタにしつつ教えてくれる。良い傾向だ。

アマーストに来てから学んだスラング・ネット用語が他にもあるので、次回の投稿をお楽しみに。








2016年9月27日火曜日

教育はなんのためにあるのか の巻

「誰のための、何のためのの教育か」というタイトルのゼミ形式の授業を取っている。編入生用のライティングセミナーである。
これまで、Robert Putnamというハーバード大学ケネディスクール教授である政治学者と、Jonathan Kozolという教育・社会問題を中心に扱うノンフィクションライターの文章を読んできた。双方とも、どこに原因があるか、ということに関しては意見を異にするも、21世紀の米国において、人種間や男女間で受ける教育のクオリティのギャップは小さくなって来ているが、その代わりに、クラス間ギャップ(貧困層と富裕層)は増大していることを指摘している。
K-12 schools(小学校~高校)の学校教育は、そのクラス間ギャップを拡大するのか、縮小するのか、はたまた特に何の影響も及ぼさないのか、それを考えるのが一つ目のペーパーのテーマである。締め切りが着々と迫って来ていて、やばい。



それはさておき、本日のクラスのテーマは、ずばり、「教育は何のためにある(する)のか?」である。

みんなの意見はばらばら。
いい仕事を得て、家族を養うため、自己実現のため、お金持ちになるため、という私的領域にフォーカスした意見。
自分に恩恵を与えてくれた社会に還元するため、このような循環や営みを絶やさないため、という公共性重視の意見。
また、何が正しく、何が悪いことなのか、という価値観を身に付ける、あるいは少なくともそれを自分で考えられるようになるための判断基準の選択肢を増やす(これを一般に「視野を広げる」と呼ぶのだろう)ため、というとってもリベラルアーツな意見。



みんなの意見を図式化したマインドマップ↓





70分間話しても、統一見解に至らなかった。が、このままでは気持ち悪いので、私なりにこの授業で得た考えをまとめたいと思う。

まず、その個人が育ってきた環境や受けてきた教育、そして学問的興味によって、「教育」の概念そのもの理解がぜんぜん異なるということ。裕福な環境で、学歴のある親に育てられた子供は、教育の意味や価値を、自己実現のためのツールとして捉えやすい。言い換えれば、純粋に自分の夢を追うために、教育を利用する。大手外銀やコンサルに勤めたいとか、政府系NGOで貧しい子どもたちのために働きたいとか。一方で、恵まれない環境で育ちながらも大学教育を受けるところまで来た人は、自己実現以外のところに重きを置く傾向がある。例えば、奨学金を与えてくれた国に感謝しているからその恩返しをしたいとか、自分の子どもにはより良い環境で教育を受けさせたいから良い企業に入ってお金を稼ぎたいとか(このような目標を自己実現的目標と完全に切り離せるかどうかは議論の余地があるが)。
編入生は、ふつうに一年生から入学した人に比べてバックグラウンドの多様性があるので、話していてとても興味深い。

第二に、「教育」という概念はあまりにも広大すぎるので、その意味を考える上では、誰がどのような環境で受けている教育か、というコンテクスト(文脈)をまず定めないと議論があっちこっちに行くということ。たとえば、アフリカにおけるエイズ予防の啓蒙教育は、情報・知識が無いことによって命が脅かされることがあってはならない、という普遍的な人権思想に基づいたものだし、識字教育もその延長だろう。一方で、大学の一般教養教育は、人としての深みや幅を広げるもので、この種の教育を受けなければ命が危険にさらされたり、一生肉体労働に従事しなければならなかったりするわけではない(個人的には、大学における人文教育の重要性は訴えたいが)。この二例は極端に異なる「教育」を指しているが、文脈の共有が建設的な議論には必要不可欠である、ということを示したかった。

第三に、授業で話された「教育」は、あくまでも個人の可能性や選択の幅を広げる、ポジティブなものとして捉えられていたが、通時的・共時的に見ても、教育がネガティブに使われることもとても多いということである。例えば、アメリカの奴隷制時代は、キリスト教の牧師や宣教師が黒人たちが「より良い人間」=「白人の農場主に従順で、罰せられてもそれは自分のせいだと思いこむ奴隷」になるように「教育」した。戦前・戦中の日本においても、子どもたちは、天皇を現人神として崇拝し、神国日本の勝利のためにすべてを捧げるように「教育」された。
もちろん、実際に教えていたひとびと(宣教師、教師、親など)が、その考え方に賛同していたかどうかはまた別問題である。ただ、少なくとも教育が、それを受ける個人の自己決定権や選択可能性を広げるためではなく、むしろ狭めるために使われていたという事実は認識しなければいけない。そして、このような事象は過去のことではなく、今日でも決して珍しいことではない、ということも。



このブログを読んでくださっているあなたは、どう思いますか?
大学に行った人は、なぜ行ったんですか?教育はどこからどこまでを含むのですか?教育へのアクセスが当たり前のようにある人にとっての教育と、ラッキーな人しかそのチャンスがないような環境での教育は、どんな違いがありますか?結局、教育は誰のためのものなんですか?

答えがすぐに出てこないのは当たり前だ。長年、教育者や哲学者が意見を戦わせても一つに落ち着かないのだから。しかし、このような問いを一度も考える必要もなく今に至っているなら、とりあえずすごい幸せな人生を送ってきた、ということだと思う。
教育を受けられることは、当たり前のことではない。今更だけど。

2016年9月19日月曜日

アカペラグループの紹介!! の巻

前回の投稿で宣言した通り、アマースト大学のアカペラグループを紹介する。
アカペラグループは全部で6つ。
男子学生のみの①Zumbyes(ズンバイズ) と②Route 9(ルート・ナイン)、女子学生のみの③Bluestockings (ブルーストッキングス)と ④Sabrinas、そして男女混合の⑤TIと⑥The DQである。

9月11日、新入生向けに、全アカペラグループ合同のショーケース(発表会)が行われた。
各グループ3曲ずつ発表し、それを見て興味を持った生徒は、ショーケース直後にオーディションのサインアップ(申し込み)をする。

どのグループも、オーディションは二段階で行われる。

まず、一次審査では、グループメンバー全員がいる部屋に一人ずつ呼ばれ、発声練習と称して音域を試される。ただ、音域がせまいからと言って落とされるわけではない。それよりも、もしグループに加わったとしたらどのパート(ソプラノ、アルト、テナー、バスなど)になるかを確認している。どのアカペラグループも、基本的に欠員を補充するかたちでのリクルートなので、既にソプラノメンバーが足りているところに、さらに新しいソプラノを採用する、ということはしないのである。それを考えると、二つ以上のパートを歌える広い音域があれば、有利といえば有利である。
二個目の審査項目は、ピアノで弾いた4~8つくらいの音から成るメロディを復唱する。大体4、5パターンやるのだが、気持ち悪い音が混ざってくるので難しい。
そして、最後の審査項目は、自分が用意してきた曲の一番だけを歌う。もちろんアカペラである。この審査項目では、いわゆる歌唱力を見られる。カラオケの音がなくてもテンポや調をキープできるか、声質はどうか、などなど。

一次審査を勝ち抜くと、コールバックと呼ばれる二次審査が待っている。
ここでは、一人ずつではなく、他のオーディショニーと一緒に行う。一次審査の音域検査に従ってパートに分けられ、実際にそのグループが過去にやった曲を習う。そして、最後は、グループメンバーの中にオーディショニ―一人だけが入って歌う。音やリズムがずれれば即ばれるので緊張は大きい。

ここまで来ると、もはや審査結果などどうでもよくなって、「やっと終わった~」感が大きい(個人談)。倍率は大体7~9倍くらいだろうか。オーディションの結果誰もとらない、というグループもある。



以下に各グループの特色を紹介し、Youtubeにビデオがあるものはリンクを添付した。


①Zumbyes
男子のみのアカペラグループの一つ。スキット(短い劇)やダンスを取り入れた、ややウケ狙いのパフォーマンスをかなり真面目にやる。なぜか、一人だけバナナの着ぐるみを着たメンバーがいる。昔からの伝統らしい。

https://www.youtube.com/watch?v=5eyzz_HKiPA


②Route 9
男子のみのアカペラグループの二個目。ビジュアルの偏差値が高め。Zumbyesに比べ、最新のポップソングを演奏する傾向。

https://www.youtube.com/watch?v=OIDIQthaEqw


③Blustockings
女子のみのアカペラグループの一つ。R&B、ソウル系のブラックな音楽を中心に演奏する。誰がソロをやってもすごく上手、という粒ぞろいのグループだ。バックコーラスの統一感というか、溶け込み感もかなり高クオリティ。

https://www.youtube.com/watch?v=3CNqNHZPvXY


④Sabrina's
Bluestockingsに比べると、ポップなかわいい曲を中心に演奏するイメージ。最近はそうでもないが、白人の子がメンバーに占める割合が大きい。

https://www.youtube.com/watch?v=yGpWWA75bfE


⑤TI
ラテン語で「世を照らす人であれ」を意味し、かつアマースト大学のスクールモットーである、Terras Irradientの略。男女混合のクリスチャンのグループで、讃美歌、ゴスペル、ワーシップソングなど、キリスト教関係の曲を演奏する。
ビデオなかった、、、、


⑥The DQ
DQはDouble Quartetの略。8人で始まったグループだかららしい。男女混合でポップスを中心に演奏するが、毎回のコンサートで何かしらメドレーをするのが恒例。白いジャケットがトレードマーク。
そして、そして、私がオーディションを経て入ったグループでもある!!!もうすでに大好き!!

https://www.youtube.com/watch?v=NrSOhz1kCEs



デビューステージは11月らしい。今から楽しみで仕方ない!

Singing College の巻

アマースト大学は、"Singing College"という異名を持つ。
理由は、文字通り、歌関係のサークルや部活動がとても豊富で、しかも、それに従事している学生がとても多いからだ。


まず、大学の音楽デパートメントの教授陣が指導する公式の音楽集団を紹介しよう。
まず、Choral Society(コーラス)がある。この中には、女声のみのWomen's Chorus、混声のConcert Choir、男声のGlee Club、そして1パート1人で構成されるMadrigal SIngersがある。
そして、シンフォニーオーケストラとは別に、ジャズアンサンブルも存在する。アンサンブルには、ベース、ドラム、ピアノ、ホーンズ(トランペット、トロンボーン、各種サックス)、そして歌手がいる。

Choral Society、オーケストラ、ジャズアンサンブルは、月1回くらいのペースで演奏会があり、少なくとも学生は無料で聴きに行くことが出来る。

興味のある人はリンクを見てみてね!
https://www.amherst.edu/academiclife/departments/music/events?mm_calendar=2016-09


これらのグループに加えて、ミュージカル、シアター、ダンスも、全部教授が指導する部活動・実践授業が存在する。
月数百ドルを支払えば、声楽や楽器演奏の個人指導も受けられる。
日本の大学って、そもそも音楽・芸術デパートメントがあるところが少ないから、もう驚くばかり。



↑一年生寮に囲まれたFreshman Quad 
天気のいい日はここで勉強:)




続いては学生サークルの紹介。
まず、ゴスペルクワイヤーがある。わーい!!すぐ入部しました笑
特に指導者はおらず、学生のうちの一人がディレクター(指導者、指揮者)を務めている。
発表の場は、学期に二回の特別礼拝と、学期に一回のコンサートである。
祈りで始めて、祈りで終わる、神様への賛美を中心に活動しているクワイヤーだ。

そしてそしてそして、、学生に歌うのが好きな学生に人気なのはアカペラサークル。
全校生徒1800人の大学なのに、6つもグループがある。1グループ10人強だが、それでも30人に1人以上はアカペラグループに所属していることになる。
各グループの紹介は、次回の投稿で!グループに加わるための選考プロセスもご紹介します!

2016年9月15日木曜日

授業紹介:Ancient Political Thought の巻

自分のメジャー要件を満たすべく、今学期は政治科学の授業を二つ取っている。
そのうちの一つが、今回紹介する、Ancient Political Thought (古代、もしくは古典的政治思想)の授業である。

名前の通り、古代ギリシャに始まる政治思想を学んでいく。扱う文献の著者の中で一番最近の人物はアウグスティヌス(西暦430年没)なので、本当に古いやつです。笑。
(ハンナ・アーレントのテキストを少しだけ読むけど、参考なのでカウントしない)


写真は、この授業で読んでいくテキストの一部だ。これ以外にもPDFがバンバン送られてくるので、読むものが尽きることはない。


まだ3回しか授業をやってないので、自分の学んだことや考えたことを文字にしてブログに載せられるようになるまでは、まだしばらく時間がかかりそうだ。なので、授業がどういう風に構成されているか、少し紹介したいと思う。

シラバスによれば、この授業は二部構成である。

はじめの二か月間は、第一部:The Question of Democracyに取り組む。読むのは、プラトンの『国家』と、アリストテレスの『政治学』、そして最後にハンナ・アーレントを少しだけ。
私の予想では、そもそも民主主義とはなんなのか、何がこの政治体制に正統性をもたせるのか、もとの理想はどんなもので、それは現在にも生きているのか、「民」とは誰のことを指すのか、民主主義のネガティブな側面は何か、というような問いを考えていくのだと思う(今後、私の予想が大幅に外れたらちゃんと訂正します笑)。

後半の第二部のタイトルは、The Concept of Universalであり、キケロの『国家』、ヨハネによる福音書、ローマ人への手紙、アウグスティヌスの『神の国』を読んでいく。"Universe"には、宇宙、万物、全人類、普遍、など、さまざまな意味がある。だからこそ、"concept"、つまり概念そのものについて学んでいくのだろう。シラバスには、愛とは、法とは、人と神との関係とは、普遍主義とは、というタイトルの授業が並んでいる。
神学的なテキストをどうやって政治思想として読んでいくのか、今からわくわくが止まらない←



で、今のところ、私がこの授業で一番気に入っていること。それは、授業が行われる教室である。
「はぁーそんなことかい」と思われるかもしれないが、見てくださいこの写真。

ワインレッドの絨毯に木製のテーブルとイス。真っ白の壁と高い天井。二階ギャラリーに続く螺旋階段。

教室に入っただけで哲学者になれる気がする。笑。


Octagon(オクタゴン)と呼ばれるこの建物は、外から見ると、名前通り、八角柱の形状をしている。この建物には、写真の教室一つしかない(たぶん)。
ここで教えられているのは、主に歴史学や哲学などの人文科学系で、政治思想は政治科学の中でもかなり人文寄りなので、ここになったのだと思う。


エアコンがないためすごく蒸し暑いのが玉にキズだが、あと二週間ほどで気温も下がって気持ちよく学べるだろう。
教室の雰囲気って、小さいことだけど、生徒を「その気」にさせる結構大事な要素だと思う。





2016年9月11日日曜日

アカデミックアドバイジングの質がすばらしい の巻

授業1週目で、既にリーディングアサインメント(授業までに読んでくる文章)の量に眩暈がしている。が、これは前回の留学(*)で慣れていることだし、予習しないと授業に行っても意味がないので、文句を言っている暇があったら読もう!と自分を奮い立たせている。


 さて、以前の投稿にも書いたように、アマースト大学では「オープンカリキュラム」といって、どんな授業でも履修することが出来る。が、全く制限がないわけではない。「メジャー要件」と、一学期に履修できる授業の少なさである。
 「メジャー要件」とは、卒業までに自分のメジャー(専攻)の授業をいくつ以上履修しなければいけない、という条件である。必要単位数は、すべてのメジャーに共通ではなく、各メジャーのデパートメントがそれぞれ定める。例えば、私が専攻するPolitical Science(政治科学)は、卒業までに12個の政治科学分野の授業を履修しなければならない。卒業までの全授業数は32(1年に8授業×4年間) なので、1/3弱は政治科学の授業で埋まることになる。

 1学期に4授業とは、ずいぶん少ないなあと思われるかもしれない。私もICUでは1学期に5~6の授業を受けていたので(しかも3期制で!)、アマースト大学の履修授業数の少なさには違和感を覚えた。しかし、一旦授業が始まれば、すぐに納得がいく。授業外での自主勉強への期待がとても大きいのだ。しかもクラブ活動もめちゃくちゃ活発なのことを考えると、4授業でも息が切れる。


 話がそれてしまったが、私が言いたいのは、「授業選択が著しく自由な分、計画的に学ぶ責任も伴う」ということである。それをアシストするために、「アカデミックアドバイジング」制度が存在する。

 生徒一人ひとりに、担当教授(アカデミックアドバイザー)がついて、履修計画や将来の進路、インターンシップ、課外活動まで、色々な相談にのってくれる。授業登録の前には、アドバイザーと会って授業選択について話し合うことが義務付けられている。しかも45分間も。これを経ないと、授業登録ができないシステムになっている。
 このセッションでは、メジャー要件の確認をはじめとして、その学期のみならず、卒業までの包括的な履修計画について話し合う。アドバイザーと話す過程で、生徒は「自分はどんなトピックに興味があるんだろう?」「自分はこのメジャーにする!と決めてかかっているけど、本当にそれは自分が学びたいことなのかな?」と何度も問い直し、考えを深めることで、確信を持って学びを進めることができる。
 まとめると、アカデミックアドバイザーは、生徒が自分の目標を明確にして、そこに行き着くための道筋を可視化するための、カウンセラー兼コンサルタントである。


↓私のアドバイザーのオフィスが入ってるCooper House

 
私のアドバイザーは、つい最近シカゴ大学から移ってきた、哲学・宗教学の教授であるが、たっぷり30分間は私の身の上話に付き合ってくれたあと、編入生の卒業要件をググって教えてくれた(本当は自分で調べるものなのだが)。
そしてアラビア語を学ぼうとする姿勢をこれでもかというくらいほめちぎり、政治科学を学び続けるなら今一度ギリシャ政治哲学をやりなおすことを強く勧めてくれた。セッションの終わる二分前、理論的な授業と経験的な授業の両方を履修する私のセンスの良さに太鼓判を押してくれたころには、この学期が知的興奮に満ちた素晴らしい4ヶ月になる確信しかなかった。
 なにごとも、自分が今やっていることは必ず意味があるんだ!と自信を持って取り組むのは、とても重要な気がします。


 アドバイザーとアドバイジー(生徒)は、学期中に何度でも会って話し合うことが奨励されており、授業についてちょっとでも不安なことがあったら、「先生~助けて~!」とすがることができる。
 アマースト大学には、アドバイザー以外にも「すがるアテ」がたくさんあるのが素晴らしい。それらについても、また追い追い紹介していきます。
 





*前回の留学:ICU在学中(2014年8月~2015年5月)にペンシルベニア大学に交換留学していました。生徒数も1万人以上、大学病院(獣医も!)やビジネススクール(Wharton Business School)もある総合大学で、アマーストとはかなり性格の違うところだった。一応アカデミックアドバイザーはいたものの、相談は義務ではなかったし、周りにもアドバイジング制度を積極的に利用している生徒はあまりいなかった。あ、でも、とてもいい大学ですよ、本当に!Ivy Leagueの一つだし!笑

2016年9月8日木曜日

奨学金で学ぶということについて考える の巻

「誰のための、何のための教育か」というセミナーで、アメリカの貧困層にある子どもたちが、ドラッグ、アルコール、多種多様な犯罪、環境汚染に囲まれて生活し、まともな教育を受ける機会ばかりか、そのような環境から抜け出したいという希望さえも奪われている、というような文章をいくつか読んでいる。
類似した内容の文章は、日本国内の文脈でもたくさん読んできた。そして、その都度、自分がかなり恵まれた環境にいる分、自己実現のためだけではなく、学ぶ機会を剥奪された人々に対する責任感を持って学ぶべきだと考えてきた。


だが、、、なんなのだろうか、今抱えている、ズシンとした重みと焦燥感を掛け合わせたような感情は。なぜ、今回は、今までよりもずっと胸がつまるのだろうか。

たぶん、奨学金だ。自分が奨学生として、ここにいるという事実が、以前にも読んだことのあるような文章に、違う色の光をあてているのだ。


アマースト大学は、全米リベラルアーツカレッジランキングで、毎年1位か2位にランクインする、いわゆる名門校である。しかし高いのは、ランクだけではない。学費も異常な高額である。
学費だけで、軽く550万円ほど、そこに寮費やミールプラン、保険料、教科書代を入れれば、1年間で750万円ほどかかる。そんな環境に、私は、奨学生としている。

少し恐ろしい事実だと思う。

そんなことしても仕方ないと思われるかもしれないが、私の奨学金と同等の金額を、今読んでいる文章に出てくるような子どもたちの教育にあてたら、どれくらいの人数が高校卒業資格を得られるのだろうか、とか、何人の人が飢えをしのげるのだろうか、とか、どうしても考えてしまう。
そして、わたしは、それだけの価値を持っている、あるいは将来的に生み出せるだろうか、とも思う。

この問いかけ自体が傲慢な気もしてくる。どうして750万円相当のワクチン支援で死を免れた多くの命と、私一人が生み出す価値とを比べることができようか。命に勝る価値などないはずではないか。

気分が暗くしかならないようなこの問題からは、目をそらそうと思えば簡単にそらせてしまう。人間は自分に都合のいいことしか認知しないから。でも、私が全米一学費の高い大学で、奨学生として学ぶ以上、ずっと向き合っていかなくてはいけない問いなのだ。卒業してからも、ずっと。

こうやって他者を意識したり、他者に責任を負ったりすることでしか、人は謙虚になれないのかもしれないなあ。ありきたりだけど、私の存在が誰かの犠牲の上に成り立っていることを、授業やクラブ活動で忙しくなっても、忘れないようにしたいです。


夕日に照らされるJohnson's Chapel.

履修する授業を決めました の巻

"Course shopping"というフレーズは、アメリカの大学でよく聞かれる。
履修登録した授業以外にも、興味のある授業や、取るかどうか迷っている授業に出席して、最終的な履修計画を決めるプロセスのことである。大抵、授業開始日から10日ほどで最終的なレジ(registration = 授業登録)をしなければいけないが、この期間をcourse shopping periodもしくはadd/drop periodと呼ぶ(addは、もともと登録していなかった授業を後から追加すること、dropはもともと登録していた授業をキャンセルすること)。

ということで、私もいくつか興味のある授業に参加して、今学期とる授業を決めました!
一つ一つの授業の説明はまた追い追いするとして、なんでその授業を取ることにしたかを簡単に書きます。

①First-Year Arabic (初級アラビア語)
 まず、第一に中東政治を学ぶ身として、言語を知らないと、現地メディアや一次資料へのアクセスしたり、現地の人々と交流したり出来ないから。第二に、イスラームの思想・哲学を学ぶにあたり、コーランをアラビア語で読めたら大変役立つし、思想と言語は切り離せないので、イスラーム特有の思考様式(そのようなものが存在すれば)を理解するのにも役立つから。第三に、右から左に文字を書けたらかっこいいから。


②First-Year Seminar for Transfers: Education for Whom and What for? (新編入生向けゼミ:誰のための、何のための教育か)
 これは、新入生全員に割り当てられているゼミの一つで、我々編入生にもこれが自動的に登録されていた。履修から外そうと思えば出来るのだが、残そうと思ったのは、第一に、「書く力」を伸ばすため。今後、ペーパーを満足できる英語で書くだけの能力を身につけたい。第二に、二度目の大学生生活を送るチャンスだけでなく、それを奨学金で賄ってもらっている身として、自分が教育を受けるということは、一体どのような意味を持つのか、どのようなこと・人に対して責任を負うのか、今一度考える必要があると思ったからである。


③Ancient Political Thoughts (古代政治思想)
 政治科学専攻分野の授業。第一に、古代政治哲学の知識が不足しているのがずっと気がかりだったから。古代ローマと古代ギリシャの哲学者たちの言葉は、面白いことに決して時代遅れではなく、現在と未来の政治を考える上で重要な示唆を与えてくれる。第二に、この授業を担当する教授の評判が高かったから。私の彼に対する第一印象は「変わり者」だったが、教授をよく知る生徒の評価も「変わり者」なので、本当に変わった方なんですね。きっと。


④Intervention to Africa (アフリカへの介入)
人道的介入から軍事介入まで、国連や先進国のアフリカへの介入の実績(というか失敗)を、批判的に考察する。そして、一学期かけて、アフリカ大陸に実在する危機(エイズ問題、飢餓、武力衝突、人権侵害etc.)に対して、自分なりの介入計画を作成する。理論ゴリゴリの③に比べて、実際的・経験的な授業だと思う。



結構センスのいいセレクションだと思う。勉強、頑張ります。

2016年9月1日木曜日

「知の消費者」から「知の生産者」へ の巻

インターナショナルスチューデンツ・オリエンテーション最後の日。
昨日から今日にかけて、在校生も続々とキャンパスに戻り始め、静かだったカフェテリアもかなりガヤガヤしてきた。

Dean of New Students(新入生担当部長)が、リベラルアーツカレッジで、特にアマースト大学で学ぶとはどういことかについて話してくれた。


そもそもリベラルアーツカレッジをごく簡単に説明すれば、自然科学(生物、物理、情報科学など)、人文科学(歴史、哲学、文学など)、社会科学(政治、経済、人類学、法など)の3つの学問分野を、学際的に学ぶ四年制大学である。入学時にはメジャー(専攻)を定めず、多くの場合3年生になるときに「メジャー選択」を行う。アマースト大学には、American Studies から Theater and Dance、そしてPhysics and Astronomyまで、38のメジャーがある(詳しくは、https://www.amherst.edu/academiclife/departments/node/214534をご参照ください)。
リベラルアーツには古代ギリシャにまで遡る非常に長い歴史があるのだが、ここでは割愛する。


さて、本題に戻して、リベラルアーツカレッジで学ぶとはどういうことなのか。
まず、授業選択に制限がない。アマースト大学は必修科目もない。だから、コンピュータサイエンスを学びつつ、西洋美術史も取れる。
第二に、広く学ぶということは、専門的で深い知識を身に付けるのはなかなか難しい。従って、リベラルアーツカレッジを卒業した学生は、大学院に進んで自分の専門についてより深く学ぶことが多い。現に、アマースト大学の卒業生のうち95%は、卒業後5年以内に大学院に進学する。
第三に、少人数制クラスも大きな特徴だろう。アマースト大学の一クラスの平均人数は15人だし、ICUでも大きいクラスで60人ほど、小さければ生徒が2人、ということもあった。全校生徒数もかなり少ない(アマースト大学は1800人、ICUは2400人)。生徒と教授の距離も近く、コーヒーを飲みながら雑談したり、キャンパス内に住んでいる教授のホームパーティに招かれたりもする。


そんな中でも、アマースト大学の特徴は、生徒に批判的思考力を身につけさせ、とにかく膨大な量を書かせることである。読む量もハンパないが、書く量はとても多い。そこには、学生が卒業するころには、「知の消費者」から「知の生産者」になっていてほしい、というアマースト大学の狙いがある。

つまり、既存の理論や他人の考えのパッチワークではなく、自分の考えや視点を、説得力のある形で提示する力を身につけさせたいのである。そのためには、これまで当たり前だと思っていたことを再度検証したり、主流の考えに自分なりの新たな視点を加えてみたりなど、独自の手法と知的努力が必要とされる。
そして、このプロセスは創造的で面白い一方、時にはとてもストレスフルだから、ライティングセンター(*)やスチューデンツオフィス(いわゆる教務)、そしてカウンセリングセンターまで、充実したリソースが学業だけでなく、生活面や精神面で生徒のサポートをする。
まさに、全校を挙げて「知の生産者」の育成に全力を注いでいるのだ。


なんだか大変なところに来てしまったなあ、とつくづく感じる。
授業が始まったら毎日死に物狂いだろうなあ。




*ライティングセンターとは、専門のスタッフがライティングに関する疑問に答えてくれるところである。英語を母語とする学生も多く利用する。アマースト大学のライティングセンターは、ドラフトの文法・語彙チェックだけでなく、レポートの中身の構成、引用の仕方、図表の効果的な使い方、そしてプレゼンの仕方まで、本当に何から何までサポートしてくれる。
 


2016年8月29日月曜日

大学職員の「学生の生活をよりよいものにしたい!」というパッションが強すぎるの巻


インターナショナルスチューデンツ(IS)のためのオリエンテーションが、25日に始まった。これは、30日からの、アメリカ人も含めた新入生全体オリエンテーションより先に、海外から来た学生たちのために特別に行われている。

オリエンテーションは、大学の様々なオフィスの職員およびリソースセンター* の職員たちによる説明や、彼らの仕事について理解を深めるためのアクティビティなどによって構成されている。


とても新鮮かつ驚きなのが、大学職員たちがとても情熱的に自分たちの役目を語り、学生たちに積極的に手を差し伸べようとしていることである。
「誰に聞けばいいか分からないときでも、とりあえず聞いてくれたら詳しい人につなげてあげるよ!」
「みんなが抱えているどんな小さな不安 ーそれが学業のことでも、生活のことでもー を取り除いて、最高の大学生活を送れるようサポートするのが我々の仕事だから!」
と、どの職員も力強く訴える。

これに対し、日本の大学職員は、学生の目に触れない、なんとなくアクセスの悪いところに事務室を構えて、粛々と事務仕事を片付けているイメージがある。時には、「これはうちのオフィスの管轄じゃないですね~」とだけ言って、じゃあどこへ行けば良いのかも教えてくれない、みたいなこともある(個人の体験談です。一般化はできません。)



この違いはなんなのだろう、はて、、、?
わたしがこれまで通った日本の大学とアマースト大学での、「大学生活」あるいは「大学の役目」の理解の違いにそのヒントがあるのではないか。

多くのアメリカの大学では、学生はキャンパス内の寮かすぐ近くのアパートに住み、一日のほとんどを大学内で過ごす。授業も、部活も、アルバイトでさえ、"on campus(キャンパス内)"で行われる。つまり、大学生活とそれ以外の生活を切り離すことは出来ない。プライベートな部分もすべてひっくるめて「大学生活」なのだ。

ここでは、大学とは、単に高校の次に進学する、学問提供機関ではない。高校までの教育機関とは異質の、自分の人生設計を必死になって考え、学問し、クラブ活動にも勤しみ、友人たちと政治・経済の話をする傍らで激しくパーティもする、特別な世界である。入学から卒業まで、学生たちは「大学生活」から逃れられない。

従って、ここの大学職員の果たす役割や、期待される働きは、日本におけるそれよりも格段に大きく、また重要になってくるのだ。
進路・就職相談、授業についていけないと感じる学生のメンタルケア、寮の居住環境の整備、飲酒・喫煙・ドラッグの問題、パーティやソーシャル(交流会)などのイベントの開催、栄養管理、恋愛・友人関係の相談など、ありとあらゆることに対応する。そして、アマーストでの大学生活が "Life-changing experience" (人生を変える経験)になるように尽力するのだ。


人生に占める「大学生活」の意味を色々と考えるのも、私が既に一度それを経験しているからかもしれない。ICUでの生活もとても充実していたけど、入学時点で、その四年間が二度とは戻らない貴重なものであることを知っていたなら、もっと別の歩み方も出来たかもしれないなあ、、、と思う。

さあ、私はこの先二年間の「大学生活」をどう過ごそう。




Converse Memorial Library (通称: Converse Hall)は、
上記のリソースセンターが複数入っている建物で、
新入生が多く住む寮の近くに建っている



*1 リソースセンター:学生のための「リソース」という言葉や概念は日本人にはなかなか理解しにくいかもしれないが、学生生活のあらゆる問題への対応や解決に際して「資源 (=resource)」となってくれる16のオフィスや研究所である。例えば、
・Accessibility Services(障害やセクシュアルアイデンティティなどの理由で、既存の施設が利用しづらい等の問題に対応)、
・Student Activities(部活動、サークル、委員会などのとりまとめ)、
・Religious Life(学生たちの多様な信仰、宗教生活を支援)、
・Queer Resource Center(ジェンダーやセクシュアリティに関する豊富な資料を持っており、その多様性の理解を深めるためのイベントなども随時開催)など。





2016年8月27日土曜日

寝床を整えるの巻



寮の部屋についたら、ベッドはこんな状態だった。何もない。


しかし、もう21時過ぎだったし、とりあえず長旅で疲れたので、雨風を防げる場所が確保されてることにとりあえず感謝しつつ、就寝した。
本音を言えば、このマットレスのクオリティはひどいもので、仰向けに寝た瞬間臀部がすごい勢いで下に落ち込んだので、軽く「Vの字」で寝ている状態だった。しかも日本のマットレスと違って、表面がビニールのため、肌にぺトぺとくっついて、まあ快眠はできなかったよね、、、



と、言うわけで、翌日にはターゲット(米国ではとてもポピュラーな大型スーパーで日用品も売っている)に行って、これから一年間使うベッドを寝心地よくすべく奔走した。
買ったのは、bed foam(マットレスの上に置くベッドパッド)、box sheets(マットレスの上にかぶせるシーツ。フチがゴムゴムのやつ)、flat sheets(ホテルでよくある、体と掛け布団の間にあるシーツ)、comforter(いわゆる布団)、sham(枕カバー)、pillow(枕)、blanket(毛布。もっと寒くなったとき用に)。これで大体120ドルくらい。枕は少しいいものを買ったので、もしもっと安く抑えようと思えば100ドル以下で全部揃えられると思う。

そして帰寮していそいそと寝床を整えると、こういう感じになった↓


ベッドパッドのお陰で体が「Vの字」にならなくなったので、寝心地は大幅に改善し、この夜はぐっすり眠れました。

2016年8月26日金曜日

いよいよ新天地へ!の巻


出発まで一時間を切った。今、胸にあるものは、無事にアメリカに入国できるかどうかという緊張と、その後の二年間の大学生活への大きな期待。あと、飽きっぽい私がブログをつけ続けられるかどうかという、疑念。を、抱きながらカレーを食べてます。さらば日本の美味しいカレーライス。


 私がこれから編入するアマースト大学(Amherst College)は、日本のキリスト者である内村鑑三と、同志社大学を設立した新島襄が卒業した、小さなリベラル・アーツカレッジだ。生徒数は1800人ほど。大学の詳しい説明は、また別の回にしようと思う。
 
 ここに記しておきたいのは、今度の2年間にかける決意。せっかく受験して入った大学院よりも、もう一度学部で学ぶ、という決断を、「正しい選択」にしていく。たとえ、途中で「ああ、アマーストに来たのは間違いだった」と思ったとしても、過去は変えられない以上、必死で「間違い」を「正解」に変えていくしかない。
 その選択をした時点では、それが「正しい」か「間違っている」かは決まっていない。すべては、その後の努力と考え方次第。だから、5年か、10年か経った後に、「あの時アマーストに行っていなければ今の自分はなかったな」と思える自分でいたいです。

 とかなんとか偉そうなことを書いたが、まずは少なくとも2歳くらいは若作りをして、新入生オリエンテーションを乗り越えたいと思います。高校を卒業したばかりのフレッシュさに気圧される気しかしないけど。

行ってきます。まずは年末の一時帰国まで、さらば日本。