2016年11月16日水曜日

この危機に際してクリスチャンコミュニティが出来ることとは の巻

 アマーストコミュニティに多大なショックを与えた大統領選挙から二日経ち、生徒たちも呆然自失の状態から、米国と、そしてアマースト大学が抱える問題について少しずつ議論が出来るようになるまで回復してきた。とはいえ、これらの会話はキャンパス内の多様な場所やコンテクストの中で行われており、アマーストの学生の統一的見解はおろか、異なる意見の体系的理解も甚だ難しい状況である。


 だから、今回は、とりあえず私が出入りするアマースト内のコミュニティの一つである、クリスチャンの学生のサークルで話し合われたことをまとめたいと思う。私が通うFirst Baptist Churchには、ファイブカレッジ(*)の学生や、近隣住民も通っているが、その中でもアマースト大学の学生が中心となって、Growth Group (GG)というものを組織し、共に祈ったり、聖書を学んだりする時間を平日夜に設けている。毎週木曜日の21時半~23時半は、このGGのバイブルスタディが行われる。
 ここ数回、日曜礼拝の説教内容に従って、モーセの十戒を一つ一つ細かく見て来たのだが、昨晩のバイブルスタディは、先日の大統領選挙を受けて、急遽、内容変更が行われた。テーマはずばり、「今、クリスチャンのコミュニティに何が求められているのか?」である。
 初めに、選挙やその結果に関する個人の印象や感想を共有した。ある学生は、「何が起きたのかを把握するだけで精一杯で、しばらくぼうっとした」と言い、「ある学生は、とても悲しかったし、選挙を受けて痛みをおぼえている友人たちを見ているのも辛かった」と話した。しかし、そこにいた学生たちの共感を最も呼んだのは、ある女子生徒が選挙結果が判明した瞬間に感じた、「攻撃への恐怖」であった。つまり、世の中の人々は、クリスチャンはみんな保守的で共和党支持者だと思うだろう。そしてこの選挙結果を経て、教会やクリスチャンのコミュニティに対するリベラル勢からの風当たりは以前にも増して強まるだろう。人によっては、自分が信仰を持っていること自体に対しても非難を加えてくるのではないか。という恐怖であった。
 正直言って、このような反応は私には新鮮で、同じ信仰を共有しているにもかかわらずなぜこのような印象の違いが生まれたのだろう、と不思議に思った。

 次に、このような憎しみと分裂に際して、クリスチャンはどう対処すべきか、聖書の中にその答えを探そう、ということになった。新約聖書には、神と人との関係だけでなく、人と人との関係に関する箇所がたくさんある。憎むな、仕返しするな、裁くな、妬むな、、、などなど。
でも、その中でも最も大事なのは、すばり「愛すること」である。
ヨハネによる福音書13章34節にこうある。

あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。
わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。

 これは、最後の晩餐のあと、自分の逮捕と磔刑を覚悟したイェス・キリストが、弟子たちに言った言葉である。イェスにとっては、自分の亡き後、弟子たちがどう生きていくべきかを伝えた遺言のようなメッセージかもしれないが、弟子たちはもっと軽い気持ちで聞いていただろう。
 この箇所を読んで、「なんだ、簡単じゃないか。私にも家族や友達や恋人がいて、その人たちに毎日愛を注いでいるぞ。」と思う読者もいらっしゃるだろう。でも、重要なポイントは「わたしがあなたを愛したように」という部分である。ここには、私の解釈では二つの意味が込められている。
 第一に、イェス(=神)の愛は、見返りを一切求めず、そして尽きることがない。つまり私たちも、「これだけやったのだから、感謝してくれ」とか、「こんな良いことをしたから、自分の評価が上がるだろう」とか、「相手に注いだ分だけの愛を自分にも返してほしい」とか思ってはいけないのである。そして、感謝されなくても、気付いてもらえなくても、愛し続けなくてはいけない。
 第二に、イェスの愛は、善人にtも罪びとにも、味方にも敵にも等しく注がれる。したがって、わたしたちも同様に、自分の陰口を叩く人のために祈り、家族を傷つけた人を許し、そして愛さなければいけない、ということである。

 急にこの掟がとても難しいものに思えて来ただろう。でも、神が人間のために示したのは、この愛の究極的な形なのである。つまり愛する独り子をこの世に送り、全く罪がないのに十字架刑という最も残酷な形で殺した。それは、一にも二にも、本当は死刑になるべき私たちの罪が赦され、愛とはどういうことかを教えるためであった。

 選挙を経て、米国内の亀裂と、それに伴うネガティブな感情はさらに悪化している。トランプ氏の勝利によって、ホモフォビック、ゼノフォビックな言説が正統性を持ったと勘違いした人々が、マイノリティに対して攻撃的な言動をしている。それに対して、「リベラル」なコミュニティも敵意をもって対応している。トランプの大統領就任に対する抗議運動には、民主的な意見表明の枠を超えた攻撃性と憎しみが見え隠れしている。

 このような危機に際して、クリスチャンができるのは「愛する」ということだけなのかもしれない。愛する、とは、愛せる相手に愛を注ぐという自然発生的な感情による行為ではなく、到底愛せなさそうな相手をも愛する、という積極的な意志による行為である。わたしは、クリスチャンとして、悲しみの中にある者に寄り添うのと共に、彼らを悲しみに追い込んだ者のために祈りたい、と思う。

 最後に、バイブルスタディでも皆で読んだ、ヨハネの手紙1 4:18-21を引用したい。

愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します。・・・わたしたちが愛するのは、神がまず私たちを愛してくださったからです。「神を愛している」と言いながら兄弟を憎む者がいれば、それは偽り者です。目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません。
神を愛する人は、兄弟をも愛すべきです。これが神から受けた掟です。






* Five College: アマースト近隣にあるUniversity of Massachusetts Amherst, Hampshire College, Mount Holyoke College, Smith College, そしてAmherst Collegeの5大学を指す。これらの大学はFive College Consortiumという単位互換制度をはじめ、学問的領域の内外で積極的で緊密な交流をしている。 

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