選挙のパブリックビューイングには、全学生の約4分の1にあたる450人もの学生が集まり、固唾を飲んでテレビ中継を見ていたという。私は、数人の友人と共に、その一人の部屋に集まってテレビを見ていた。州ごとの結果が出そろって来ると、冗談交じりに「トランプ優勢だね~」と笑っていたのが、次第に胸騒ぎに変わっていき、最後のほうは切望的な雰囲気に包まれていた。
この友人たちは、私を含めて、PoC(People of Color =白人ではない人種)であり、また移民の家族であり、この大統領選挙の結果が長期的にどのように自分たちの生活に影響を及ぼしてくるのか、という言葉にしがたい不安に襲われていた。
翌日のアマースト大学のキャンパスは、お通夜のような雰囲気だった。曇天も手伝ってか、学生たちの表情は暗く、うつむきがちで、友人と目を合わせても弱弱しく微笑むだけ。ある友達は「今日の雰囲気では、笑うことさえも不謹慎な気がした」と言っていた。
夜には、学長が緊急集会を開き、30分ほどのスピーチを行った。詳しい内容は、また別の回で紹介したいと思うが、彼女は必ずしも大統領選のことだけを話したわけではなかった。むしろ、大統領選で見られたような、米国内の分裂が、アマーストのコミュニティのレベルでも起きており、それを対話と相互理解の努力によって乗り越えられる能力を持っている私たちは、その能力を行使していく義務と責任がある、と訴えていた。このスピーチをどう捉えたかは、学生によって様々だが、アマーストで支配的なリベラルな言説が、それ以外の言説を抑圧し、異なる政治的意見との交流を全く阻害していた、という現実をとても雄弁に物語っていたと思う。
アリストテレスは、理性や知恵の「所有」よりもその「行使」を重視した。この「リベラル」で「エリート」な共同体が、単にその社会的イメージに鎮座するのか、持ちうる知的な力と声を総動員して向き合うのかが、今のような社会的危機の時にこそ試されているのだと思う。
0 件のコメント:
コメントを投稿