2017年7月16日日曜日

一週間のスケジュールはこんな感じ! の巻

ベイルートでの生活も早いもので半分ほどが過ぎました。今回は、AUBプログラムの一週間のスケジュールをご紹介。
まず、メインとなる授業は、月曜~金曜の8時半から13時まで。二人のインストラクターが約半分ずつ教えます。4時間半の授業ですが、15分間の休憩が2回入るので、勉強しているのは正味4時間です。とは言っても、正午を過ぎてからの1時間は、いつも永遠に感じられるほど長い、、、笑。内容としては、主に小グループやペアでの会話、ビデオを見て内容の理解度を確認するリスニングのトレーニング、そして文法の講義も少し。

文法はアマーストで教わったことの復習が多いので問題ないのですが、リスニングはかなり苦手。耳がなんだか知っているような単語を拾っても、その意味を思いだそうとしている間にどんどんビデオが進んで、「ああ、もう今なんの話してるの???」という感じ。特に、私が慣れている公用アラビア語のフスハではなく、話し言葉のアンミーヤになると、知っているはずの言葉さえ発音やアクセントのせいで聞き取れずむしゃくしゃ。でも何回も何回も聞いて内容が理解できたときの喜びは格別です。


授業を終えたあとは、1時間の昼食休憩。正直に言って、この昼食の時間が1日の中で一番楽しい時間です笑。ほぼ毎日、クラスメイトと共に、サンドイッチ、シュワルマ(薄く削いだケバブの肉を野菜を巻いたラップ)、ファラフェル(ひよこ豆のコロッケ)のラップなどのストリートフードを食べています。これが大体$2.5~4という安さ。
しかもぜんぶサイズが大きいので満腹になります。写真は、お気に入りのファラフェル屋さん。奥の巨大なフライヤーの縁にぞろっと並んでいるのが、そのファラフェルです。手前がサンドイッチに巻かれる具材たち。








二枚目の写真が、そのファラフェルサンド。ファラフェルとトマト、ミント、ラディッシュ、ゴマのソースを巻いたラップサンド(3500LP=$2!)。食べかけで失礼します笑
そう、こっちに来てしたレバノン料理に関する嬉しい発見は、①やたらと生玉ねぎを使わないこと(生玉ねぎは、数少ない苦手な食べ物の一つです)と、②ミントを多用すること。ゴマ、ひよこ豆、オリーブオイルなど、リッチなテクスチャーの具材とミントの爽やかさが合わさると、口に入れた瞬間踊りだしたくなるような美味しさです。


この写真もまたお気に入りのお店のもの。サージという伝統的な鉄板で、サンドイッチを作っている様子です。ピタパンをここでカリカリに温め、それで肉や野菜やチーズを巻きます。手前の、茶色っぽいものが乗っかてるものが、私がよく食べる(ラヘムバジン)。生のひき肉をパンに塗りつけ、パンごとサージの上で調理します。お肉に火が通ったら、野菜、マヨ、マスタードなどを巻いて出来上がり。これもまた巨大な割に、4500LP=$3です。


昼食を終えたあと、14時~15時は、インストラクターとの一対一の面接です。面接といっても、授業で聞けなかった質問、宿題で分からなかったことなどを質問して教えてもらうような感じ。この面接は水曜日を除いて毎日あるので、その日の疑問をその日のうちに解決でき、とてもありがたいです。


そして、15時以降は日替わりで1時間~1時間半のプログラムがあります。
月曜日はレバノンや中東の歴史、文化、時事問題に関するレクチャー。もちろん、in アラビア語。正直15%くらいしか理解できてないから、これ参加する意味あるのかなって思いますが、先生によれば、分からないなりに数少ない知ってる単語を聞き分けたり、アラビア語のリズムに耳を慣れさせたりするだけでも意味があるそう。ふーん、、、と思いつつ、「参加しない」というオプションがそもそも存在しないので頑張ってかじりついています。

火曜日はアラビア語の映画を見ます。これには字幕がついているので内容は一応理解できますが、翌日の授業で行う5-10分ほどのスピーチのために、何を話そうかな、と考えながら観ています。

水曜日は、クラスでベイルート市内を歩いたり、大学近くの観光名所を訪ねたりします。例えば、先週の水曜日は、近所の花屋や雑貨屋に立ち寄り、覚えたてほやほやの言葉を駆使しながら店主とコミュニケーションを取ったり、ジューススタンドで注文したりしました。このプチトリップは、教室外でアラビア語を使用する良い機会です。写真は、その時に飲んだ(食べた?)フルーツカップです。上にふわふわのチーズと生のアーモンドがトッピングしてあり、ボリュームたっぷりで満腹になりました。





木曜日はクラブ活動の日。レバノン、パレスチナなどの国々の民族舞踊であるダプケか、カリグラフィー(アラビア語の書道)のどちらかを選択します。
わたしは、後者を選びました。これがいやはやとても難しい、、、。アラビア文字独特のカーブがなかなか描けません。綺麗にバランスも取れない。先生はあんなに簡単そうにやってるのに、、、笑。

カリグラフィーの字体は全部で6種類あるらしいのですが(トルコ起源、イラン起源、レバノン起源、など地方で分かれている)、私たちが習ったのは、写真のナスハという字体。一生懸命練習して少しでもお手本に近づきたい!。


金曜日は、TAとの1時間の会話セッションが2,3週間に1回ありますが、それが無ければ15時ですべてが終わります。

こうして16時半ごろまでにすべてのプログラムが終わり、夕方は宿題をやったりジムに行ったりします。金曜の夜は、こっちで出来た友人たちとバーに飲みに行くことも。実はまだベイルートでクラブに行っていないので、帰国前に行かねば!と思っています。ベイルートのナイトライフは、東京とは比べられないほど華やかで、豪勢です。人によっては朝7時までパーティをして、朝ごはんを食べてやっと解散、ということもあるそう。
もし夜遊びする機会があればそれもまたご報告します笑。

週末にはAUBが遠足に連れて行ってくれたり、自分たちでアウトドアを楽しんだりできますが、それについてはまた今度の投稿で!
そんなこんなで平日は忙しく、週末はゆったり過ごす、というメリハリのある生活を送れています。夏休みになんで1日8時間も勉強してるんだ?と思うことはちらっとあっても、ベイルートで語学研修なんて滅多にない経験だし、ICUを一緒に卒業した仲間は夏休みなどなく働いているんだ、と思い出して、5秒前の甘ったれた考えを振り切っています。
ここでの生活もあと3週間と少し。与えられた機会と時間を無駄にしないよう、残りも頑張っていきたいです。


さてさて、最後に、アラビア語でのフレーズをご紹介。今回は「ありがとう」です。
!شكراً シュックラン! と言います。
さらに、「とても」「本当に」を付け加えたい時には
كثير クティール をくっつけます。

ここまで読んでくださってシュックラン・クティール!




2017年6月30日金曜日

授業が始まりました! の巻

 本日4回目の授業がありました!
 21日(水)のプログラム初日にあったプレイスメントテスト(組み分け試験)に基づいて、全88人の参加者が8~10人ほどのクラスに分けられました。クラスは大きく分けて、完全初心者向けのElementary、1~数年アラビア語を勉強した人向けのIntermediate、そして、会話および読み書きはほぼできる人向けのAdvancedがあります。そして、この三つのレベルをさらにLow, Mid, Highの三つに分けます。わたしはMid-Intermediate、つまり、中の中のクラスに入りました。

 アマーストではAl Kitaab (文字通り「The Book」)という教科書のPart1を1年間かけて終わらせたのですが、このクラスでは、同じくAl KitaabのPart 2を使います。6週間で半分以上を終わらせるらしい、、、(恐怖)。その教科書がこちら。

Al Kitaabは、アメリカ、ヨーロッパの大学のアラビア語の授業で広く使われている有名な教科書です。しかも、編集者の一人のMahmoud Al-Batal 教授が今回のAUBプログラムのディレクターをしているんですよ!マフムードさん、アラビア語教育の世界ではかなり有名な人らしいです。

そして中はこんな感じ。この教科書には10単元収録されていますが、各単元の一番最初には、30~40の新しい単語のリストがあります。写真は単元1の単語リストです。これを見るとなんとなく私がいるレベルがお分かりになるかと思います。


 さて、習熟度別にクラスを振り分けられたはずなのに、私のクラスにはペラペラとアラビア語を話せる生徒も数人います。私は彼らの言っていることの半分くらいしか分かりません。このようなことが起きるのはなぜでしょうか?
 アラビア語サマープログラム参加者は、大きく二つのグループに分けることができます。一つ目は、アラビア語を完全な外国語として学び始めた人たちです。彼らは、将来学問や仕事に役立てたいと思って、ゼロからアラビア語の習得を目指しています。私もこのグループに属します。二つ目のグループは、アラビア語圏出身者、あるいはその血筋だけど、アメリカやヨーロッパなどアラビア語圏外で育って、その国の言語で教育を受けて来た人たちです。彼らの中には、アラビア語で家庭教育を受けて来た人もいます。
 さて、この事情を考慮すると、私のクラスで起きている不可解な出来事も理解しやすくなります。つまり、一見ペラペラとアラビア語を話している人たちは、家での日常会話は問題ないけど、読み書きがほとんど出来ません。だから、リーディングとライティングしかなかった組み分け試験で、彼らの言語能力は、アラビア語をゼロから始めた私と同等、と判断されたのです。
 移民がとても少なく、かつ、母語と教育を受ける言語が一致している人が大半を占める日本では、なかなかイメージが湧きにくいかもしれません。でもこの二つ目のグループに属している人の中には、自分の母語をきちんと読み書きできないのを悔しく思っている人もいます。切実な悩みだと思います。

 と、いうことで、わたしは10人ほどのクラスメイトと共に、毎日5時間のアラビア語の授業と4時間の宿題をこなしています。新しい単語と文法で頭がパンクしそうですが、プログラムを終えた時の自分の成長した姿を妄想しつつ頑張っています。

 最後に、、、。今回から、毎回の投稿で一つずつアラビア語の言葉をご紹介していきたいと思っています。今日の言葉は、一番大事な「こんにちは」!
!مرحبا   mar-haba!   マルハバ!
(ちなみに上のアラビア文字は右から左に読みますよ)

次回以降もお楽しみに!

2017年6月23日金曜日

AUBキャンパスがすごくきれい! の巻

レバノンって砂漠地帯だと思ってらっしゃる方も多いかと思いますが、実は地中海に面しており、いわゆる地中海性気候と聞いて思い浮かべるギリシャやシチリアと似たような気候なのです。なので、特に海岸沿いにあるベイルートは海風が気持ちいいし、緑もかなり多い!私が現在語学留学中のAmerican University of Beirutもそのように美しい自然に恵まれています。

キャンパス内はとても坂が多く、どこに行くにも急な坂か階段を上り下りしなくてはならないのが難点ですが、坂の上からはとても美しい景色が臨めます。例えばこれ。

ジムとフィールドが海の真ん前!(フィールドの左に建っている黄色っぽい建物がスポーツセンターです)。そして斜面には色鮮やかな花が咲き乱れています。花のピンク、草木の緑、そして海の空の青が一枚に収まったこの写真は、かなりお気に入りです。


そして、キャンパスを一歩出れば、目の前に広がる地中海。湾の対岸の丘に、隙間なく建っている建物も、日本にはなかなか無い風景で素敵です。以前訪れた隣国イスラエルとパレスチナを彷彿させます。
写真の左下に写っている赤い浮具の列ですが、その内側がなんとAUBのプライベートビーチです。まだ行ってはいませんが、せっかくお金を払ったので(ジム代と併せて$85くらいだったかな)、近々行ってみたいと思います。

そして、AUBキャンパスで美しいのは自然だけではありません。建造物にも荘厳な雰囲気を醸し出しているものがいっぱい。今回は正門(メインゲート)をご紹介。
左の写真は門を内側から撮影したもの。夜になるとこうしてライトアップされます。
ちなみに夏のベイルートは日が長く、20時半ごろに完全に暗くなります。

そして、下の写真が正門を前から見た図です。AUBは1866年にダニエル・ブリスという宣教師によって設立されましたが、この門はそのかなり後、1901年に建てられました。ちなみに、ブリスはアマースト大学の卒業生なんですよ(!)で、余談なのですが、この夏日本に一時帰国する直前に、アマースト大学の大同窓会で、1883年卒のクラスの専属バーテンダーとしてアルバイトしていたのですが、そこで「夏はベイルートのAUBっていう大学でアラビア語勉強するんですよ」と飲み物を待っていたおじさんに話したら、なんとその人、ブリスのひ孫(ひひ孫?とりあえず親戚)でした。すごい偶然でびっくりしたし、家族代々アマーストなんだなぁと感心もしました(笑)

AUBのキャンパスは、ベイルートを訪れる観光客に人気のスポットです。皆さんも、もしレバノンに旅行することがあればぜひ立ち寄ってみてください!

2017年6月20日火曜日

ベイルートに到着! の巻

東京での3週間はあっという間に過ぎ、いよいよアラビア語の語学研修のためにレバノンのベイルートへと旅立つ日がやって来ました。久々の帰国に合わせて、美味しいご飯をたくさん作ってくれた母や、忙しい間をぬって会ってくれた友人たちに感謝です。

さて、東京からベイルートへの行き方ですが、羽田出発、カタールのドーハで乗り継ぎ、ベイルートへ、というルートでした。羽田からドーハへは約11時間、そしてドーハからベイルートへは約4時間かかりました。

いや、ドーハのハマド国際空港の大きさ、美しさたるや、、、まるで近未来に来たかのような雰囲気。横長の空港の真ん中にはスケルトンの電車が突っ走り、免税店もかなり贅沢にスペースを取ったつくり。そして、飛び立った機内から眺める、海上に浮かぶ高級リゾートもまた呆気に取られる大きさ。
写真に写っているのは、ほんの一部です。一翼、と言うべきなのかな?機会とお金があればぜひとも上陸してみたい、、、


対して、最終目的地ベイルートのラフィク・ハリリ国際空港は、古めで暗めな感じ(笑)ドーハ空港を見たあとだとどうしても迫力に欠ける感じは否めませんでした。しかし、心配だった入国審査も、ラゲージクレイムもさっさと終わり(トランジットがあると、いつも荷物を失くされないか不安になります←失礼)、飛行機を降りてから20分ほどでAUBが手配してくれたタクシーに乗っていました。

このタクシーサービス本当にありがたかった、、、。街中のタクシーはけっこうぼったくるみたいで、特にローカル事情も言語も分からない観光客は足元を見られてかなり高額を要求されるそう。いくらアラビア語の授業で「こんにちは、どこまで?」「こんにちは、まずはメーターを作動してください」っていうタクシードライバー&タクシー客のRPGをやったっていっても、実際どこまで役立つのか、、、(はい、実際にこのロールプレイはかなり反復させられました。よっぽど重要なんですね。)

というわけで、空港から約20分ほどでAUBのキャンパスに。空港近くの道路沿いには、かなり古くて今にも壊れそうな建物が多く、スラム街のような雰囲気。ベイルートって発展した大都市って聞いてたけど実はそうでもないのかな?と思っていたら、一つトンネルを抜けた瞬間、とても美しい石造りの建物や、近未来的デザインのビルが立ち並ぶ風景が広がっていました。海もとても近くに見えて、「あー、これが写真で見たリゾート地だ」と。しかし同時に、これだけ極貧の(ように見える)地区と、高級リゾート地が近距離に共存しているあたりが、以前訪ねたバンコクやニューデリーのような、急速に発展した都市との共通点だなあとも思いました。


AUBのキャンパスも、その高級なほうにありました。今回、8月10日までお世話になる寮は、New Women's Dormという女子寮。アマースト大学では性別で寮を分けることはないので新鮮だなと思いつつ、受付のおばさまに鍵をもらい、部屋へ。部屋の広さや造りは質素な感じだけど、まあまあ清潔だし、窓も大きいからよいかな!ベッドルームを二人でシェアするはずですが、ルームメイトはまだ到着していません。バス、トイレは4人で共有です。

プログラム初日は明後日の21日。明日は、東京にいる間全くしていなかったアラビア語の復習や、食料の買い物などしようかな。米ドルをレバノンポンドにも替えなきゃ!一番不安だったトラベルの部分が終わって、急にわくわくして来ました。

2017年6月9日金曜日

夏はレバノンでアラビア語を学びます の巻

お久しぶりです。あっという間に二学期目が終わり、夏休みに突入しました。春学期、一度もブログ更新しなかった、、、すごく反省。アマーストでの生活に慣れたこともあってか、編入直後は「こりゃ投稿しなきゃ」と思ったことも、あまりアンテナに引っかからなくなっていました。
夏休みは、アマーストでの一年目を振り返って咀嚼する時間もあり、新しい経験もするので、ぜひ活発にブログを更新したい、、、!

と、いうことで、この夏、私はベイルート(レバノンの首都)にあるAmerican University of Beirutにおける、6週間のアラビア語集中講座に参加します。(プログラム詳細はこちら)。
レバノンは、シリアとイスラエル、そして地中海に囲まれた小さな中東の国です。アラブ諸国の中ではキリスト教徒が多い国で(約40%)、大統領、首相、国民議会議長のポストを三宗派(キリスト教徒、イスラム教スンナ派、イスラム教シーア派)で分割することは不文法となっていることで有名です(比較政治を勉強している人の中では笑)。
「レバノン地図」の画像検索結果
青く塗られた小さな国がレバノン。ベイルートは地中海に面しています。

首都ベイルートは、中東のパリとの異名を持つほど、発展した綺麗な街で、西欧人のリゾート地として、イスラエルの首都テルアビブと共に人気を博しています。


ベイルートの街

私が参加するプログラムがどのようなスケジュールで授業(修行?)を行うかはまだ分からないのですが、初日に行われる習熟度確認試験のスコアによってクラスを振り分けられ、6週間で1学期分の教材をこなします。私はアマーストで1年間アラビア語を学んだので、ビギナーかその一つ上のクラスかな~と予想しています。
アマースト大学は、このプログラムに毎年二人の生徒を奨学生として送っており、私も正月休み中にせっせと書いた志望動機書が認められ、今年の奨学生に選ばれた次第です。学費、寮費、航空券代、食費など、全部で$9,000~10,000ほどかかりますが、そのうちアマーストの卒業生が立ち上げた財団により、$7,000がカバーされるので、自己負担は航空券の値段によって20~30万円ほど。奨学金が頂けるのはありがたいなあと思いつつも、やはり教育を受けるのはお金がかかる、と痛感しました。

2017年6月9日現在、サウジアラビアをはじめ6か国がカタールと国交断絶を行うなど、中東情勢は混迷を極めていますが、せっかく得た機会なのでしっかり勉強してきたいと思っています。現地に着いてからは、ベイルートの街や留学先大学の雰囲気、プログラムの様子をご報告したいと思いますので、お楽しみに。

2017年1月20日金曜日

差異を前提とした団結 の巻

今日は、1月20日、トランプ氏の大統領就任の日である。奇しくも、この日に帰米することになってしまった。搭乗前の待ち時間にカタカタとこの記事を書きながら、お願いだからデモとかテロに巻き込まないでください、と祈っています(自分が巻き込まれなくてもテロは起きないでください)。


大統領職からの引退を前に、オバマ大統領が演説を行った。1月10日のことである。そのスピーチの中で、とても印象に残ったことばがある。そのまま引用したい。

"Understand, democracy does not require uniformity. Our founders argued. They quarreled. Eventually, they compromised. They expected us to do the same. But they knew that democracy does require a basic sense of solidarity - the idea that for all our outward differences, we're all in this together: that we rise or fall as one"
「理解してほしい。民主主義は同一性を前提としないということを。
我々(合衆国)の創始者たちは、議論し、言い争った。そして最後には譲歩した。彼らは、私たちにも同様のことをするよう期待した。
しかし、民主主義は基本的な団結意識を必要とすることも、彼らは知っていた。私たちには差異があるからこそ団結する、そして盛衰を共にするのだ、という思想である。

つまり、協力や団結は、行為者たちの同一性を前提としない、ということである。言い換えれば、出身、外見、経験、思想の多様性それ自体は、協働することの妨げにはならない、むしろその違いゆえに支えあい、共に生きて行こうという意志を意識的に持つのだ、ということである。



話題を少し変えよう。元旦早々、まだ中学一年生の従妹と、このような会話をした。

筆者: ねえねえ、クラスにさ、どう頑張っても意見が合わない人がいたらどうする?
従妹: とりあえず、話し合ってみる。
筆者: うん、そっかそっか。じゃあさ、話し合ってはみたんだけど、やっぱり最後の最後で譲れなくて、お互いの考えに賛成できません、ってなったらどうする?その子との関係は、その後はどうする?
従妹: もうその子とはあんまり関わらないようにするかな。

この従妹の解答、処世術的には結構いい答えなのではないだろうか。話しても考えの合わない人間とは、そのまま付き合い続けて無駄な軋轢や緊張を生むよりは、なるべく関わらないようにして、共同体の和を保っていこう。日本的な考え方といえばそうかもしれない。


けれども、分かり合えない人とは交流しない、ということは、自分の周りに同じ考えを持つ人間ばかりを侍らせることを意味する。これは複数の理由で危険である、と私は考えている。

第一に、真実を歪曲させる。自分の周りには、自分と同じようなを主張している人ばかりだから、それがたとえ現実に起きていることと異なっても、気付かない。自分の耳に入ってくる情報(しかも、大体は自分の考えや信条を肯定し、固定化する情報)が、ほぼ唯一の「真実」となる。
これが痛いほど露呈したのが、大統領選挙の日のアマーストであった。このウルトラリベラルとも呼べるような環境において、多くの生徒がクリントン氏の勝利を信じ込んでいた。「これだけみんながヒラリーを応援しているんだから、トランプが勝つわけない」「メディアの予想だってクリントンが勝つと言っているではないか」と。しかし、そのような楽観的な読みは、昨年の11月8日に見事に打ち砕かれた。
トランプ支持者はいたのだ。アマーストのコミュニティにも。ただ、あまりにもブルーな環境の中で彼らは表立って自分の政治的信条を明かさなかった。民主党支持者も共和党支持者の声に耳を傾けようとしなかった。クリントン支持者の声だけが日に日に大きくなっていたのである。この集団思考によって、クリントン支持者の選挙予想はかなりバイアスのかかった、現実離れしたものとなったのだ。アマーストで教える教授の中には、トランプ氏にも勝算があることを、選挙のかなり前から気付いていた人もいた。そういった人たちの目は、群れに群れているクリントン支持者の声によって曇ることがなかったのだろう。

自分の考えを肯定してくれる人間とばかり付き合うことの第二の弊害は、共同体内に亀裂を生む、ということである。「話し合っても同意できないあなたとは、もう話しても意味がない」と尚早に結論付け、それ以降のコミュニケーションを諦めてしまう。これは、相手がなぜそのような考えに至ったのか、自分と相手の意見が食い違うのは何故なのか、という思考をも放棄することになる。
それだけではない。ある一点に関する考えの食い違いのために、その個人との関係性を全て絶ってしまうこともある。「トランプを応援するやつはきっと頭がおかしい。何をしたって意見が合わないに決まってるんだ」というクリントン支持者。「女性の権利を平気で侵害してるムスリムとは関わらないほうがいい」という「リベラル」なクリスチャン(イスラームの教義が女性の人権侵害を肯定しているというのはかなり議論が分かれるがここではこれ以上論じない)。こうして、一つの国、一つの学校、一つのクラスの中に、ぱっくりと亀裂が入っていく。

第三に、自分と似た人ばかりと付き合うのは、論理的に考えれば、自分にとって損だ。触れたことのない世界や価値観と出会う機会を、自分の手で放棄することになるからだ。常に「あなたは正しいね」と言ってくれる人とだけ交流すれば、確かに居心地はいいかもしれない。でも、ひどく単調で刺激のない日々を送ることになろう。私の大親友と私は、意見が一致することは多くない。でも、話せば話すほど、「そういう考え方もあるか!」「そんな風に思ったことなかった!」と多くを気付かされる。たとえ「こいつちょっと好きじゃないんだよなぁ。。。」と思う相手でも、腰を据えて、彼・彼女の考えに耳を傾けているうちに「同意はできない。でも共通点もあるから、工夫すればやってけるかも!」と思うこともある。
自分を肯定してくれる人間とばかり付き合うと、個人としての成長の機会も奪われる。自分の意見に挑戦してくる人がいたら、一生懸命自分の主張を弁護する過程で、より洗練された意見を持てるようになるかもしれない。自分がなぜそのような結論に至ったのか、ということを改めて考え直す必要に迫られるかもしれない。答えはAだけだ!と思ってたのは実は思い込みで、よくよく考えればBもCもありえるなぁ、と考えが改まるかもしれない。いずれにせよ、自分のそれとは異なる主張やアイディアに触れることで、視野が広がり、思考や教養が深まる可能性は非常に高い。


自分と似た考えを持つ人たちばかりとつるむことの危険性を論じて来た。私なんかに言われなくても、このようなことに気付いている読者はいっぱいおられよう。それでも私がこのような記事を書いたのは、ここにオバマ氏が言及した「団結する意志」が深く関わってくるからだ。
人間だったら誰しも、居心地よく、安全に生きたい。だから、特に意識をしなければ、似たような考えを持つ友達、いつも自分を肯定してくる人々が、自分を取り囲むような、そんな安全地帯を作り上げてしまう。あえて、自分をいつも弁護し、自省し、成長していくことを求められるような環境に身を置くことは、意志の力によるしかない。自分の意志で、異なる考えを持つ人ともうまくやってこう、同意はできなくても討議し、妥協し、合意に至ろう、そうやって自分を押していくしかない。

オバマ氏が言ったように、団結や協働が同一性を必要としない、というアイディアには希望がある。特に、閉鎖性が高まっていきそうなこのご時世には。民主主義を、討議を、協力を尊重していきたいとう意志があれば、出自や人種や思想が異なっても、共生していくことは可能なのである。


アマースト大学に到着するころには、就任セレモニーなども終わっているだろう。学生たちの様子も、今後伝えていきたいと考えています。

それでは12時間の空の旅へ。いざ。




2017年1月5日木曜日

人種差別ポスター事件 の巻

今となってはかなり昔のことになってしまったのが、アマースト大学では結構ニュースになったので、遅ればせながら報告したいことがある。

10月末ごろ、フェイスブックのニュースフィードで、たくさんの生徒がシェアした衝撃の写真がある。





お分かりだろうか。
様々な頭蓋骨と脳のサイズを比較し、白人の知的レベルは黒人や先住民族のそれよりも高いこと、そして、その差異は生物学的な違いによるものであることを主張したポスターである。多くの人がキャンパスを出入りするファミリーウィークエンド(在校生の家族がキャンパスを訪問する年に一回ある週末のイベント)の直後に発見されたので、アマースト大学の学生が掲示したわけではおそらくないだろう、と学生たちには理解されている。
何年も前に「科学的に根拠がない」と結論付けられたことをこんな風に蒸し返す人がいるのか、とあきれた意見が多かったが、やはり人種的マイノリティへのインパクトは大きかったみたいである。
同じ授業を取っているアフリカンアメリカンの学生は、怒りと悲しみの入り混じった表情で、「まだこんなことを本気で信じている人がいる社会に出ていくのは怖い」と話していた。

筆者としては、、、
このポスター事件が起きた当時は、アホなことしたやつがいるもんだ、くらいの感想しか持たなかった。なぜなら、このポスターに書いてあるような内容を支持したり容認したりするような人間はほんの一握りの人種差別主義者だけだ、と想像していたからだ。しかし、以前より人種差別的発言を繰り返していたトランプ氏が大統領選挙で当選してから、じわじわと不快感と恐怖が沸き上がってきた。アメリカ国民はトランプ氏を当選させてしまった、つまり半分くらいの国民は、このような言説を積極的に支持はしないまでも、容認する、という現実が露呈したからである。

トランプ支持者は、皆が皆racist(人種差別主義者)、sexist(性差別主義者)、homophobe(同性愛嫌い)ではない、と主張する人も大勢いる。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。よっぽど詳細な調査が行われない限り、その真偽はわからないだろう。
しかし、一つだけはっきりしているのは、これらの人たちは、このような差別主義的言説を、それ以外の要素(リーダーシップ、政治的カリスマ、管理能力など)がどれほど優れていても投票をやめさせるような、絶対的に抵抗しなればいけない不正義、という風には理解していないということである。
だからといってトランプに投票した人を単純に非難する気にもなれない。誰だって、愛だの正義だのという議論は、自分の生活が保障されてから初めてできるものだと思うし、トランプ氏に投票したいと思わせてしまったクリントン氏やそれまでの政権の政策の失敗というのも考慮に入れなければならないからである。

まあでも、とりあえず、いい気分はしない。というのが筆者の感想である。いい気分はしないし、トランプ氏の当選(そしてもうあと数日で就任!!)によって、なんだかリアル感が増してしまって、冷たい汗が背筋を流れるような感覚である。

現在冬期休暇で一時帰国している私がアマーストに戻るころには、米国大統領はオバマ氏からトランプ氏に変わっている。それに対するアマースト大学の学生たちの反応なども、今後報告していきたいと考えている。



2017年1月2日月曜日

はじめてのThanksgiving体験(2) の巻

 Thanksgiving休暇後すぐにファイナル(期末試験)シーズンに入ってしまったためずっと更新していなかった。反省。

 と、いうことで、Thanksgiving体験報告第二弾です!

11月24日の朝は、早朝からキッチンがガタゴトいっていた。
ターキーにつめるスタッフィングを作っていたのだ。スタッフィングは、パン、フルーツ、野菜、ナッツなどをまぜた詰め物のこと。ステイ先のスタッフィングは、ドライフルーツを戻したり、角切りにしたパンをあらかじめオーブンでカリカリに焼いたりなど、調理が何工程もある手のかかったものだった。
しかもこれはメインになるわけではなく、ターキーの中につめたり添え物にしたりする。

                           完成したスタッフィング→












前日にスープにつけておいたターキーを取り出して、よく水を切ると、お尻のほうからこのスタッフィングを詰める。鳥類のお尻に腕をつっこむという体験はかなりエキサイティングでした。


←オレンジの果汁や様々なスパイスが入ったスープに
一晩つけたターキー



















ターキーをオーブンに入れると、毎年恒例だというハイキングに連れて行ってもらった。車で10分弱いったところにあるトレッキングコース。もとの標高が高めなので、ちょっと上っただけで壮大な景色が!散歩、といっていた割には二時間半歩いて結構疲れたが、豪華なディナーの前にはいい運動になった。




そしてそして、待ちに待ったディナー!!ステイ先のおうちはお父さんがイランの方なので、イラン料理も織り交ぜたThanksgivingディナーでした。手前はイランでよく食べられるというポテトライス。炊いた長粒米の上に表面をカリッと焼いたスライスのジャガイモがのっている。これ自体に味はなく、イチジクとゴマのたっぷり入ったシチュー(想像以上においしい)をかけて食べる。ポテトライスの奥は上記のスタッフィング。ターキーに詰めてローストしたのを取り出しだもの。その横の白いのはマッシュポテト。ふわふわ。 その奥はローストしたニンジンとカブ。

アングルを変えて。手前はもちろんターキー。これでも小ぶりなものだそうです。付け合わせのクランベリーソースやローストした芽キャベツも。このクランベリーソースは前回の投稿で作り方を紹介したものだが、ショウガやシトラスのピールが入っていて、とてもさっぱりしている。なんだかんだディナーの中で一番好きだったかも(笑)
ディナーは16時半ごろから20時ごろまで続き、食べ終わった後もボードゲームをしたり映画を見たりなど、のーんびりした時間を過ごした。日本のお正月に少し感覚は似ているかも。食っちゃ寝。笑
ということで、すんごい遅れましたが、Thanksgiving Dayのリポートでした。
家族水入らずの休暇に私を招いてくれたご家族に心から感謝!日本にも遊びに来てくれたらいいなあ。。。