2016年9月27日火曜日

教育はなんのためにあるのか の巻

「誰のための、何のためのの教育か」というタイトルのゼミ形式の授業を取っている。編入生用のライティングセミナーである。
これまで、Robert Putnamというハーバード大学ケネディスクール教授である政治学者と、Jonathan Kozolという教育・社会問題を中心に扱うノンフィクションライターの文章を読んできた。双方とも、どこに原因があるか、ということに関しては意見を異にするも、21世紀の米国において、人種間や男女間で受ける教育のクオリティのギャップは小さくなって来ているが、その代わりに、クラス間ギャップ(貧困層と富裕層)は増大していることを指摘している。
K-12 schools(小学校~高校)の学校教育は、そのクラス間ギャップを拡大するのか、縮小するのか、はたまた特に何の影響も及ぼさないのか、それを考えるのが一つ目のペーパーのテーマである。締め切りが着々と迫って来ていて、やばい。



それはさておき、本日のクラスのテーマは、ずばり、「教育は何のためにある(する)のか?」である。

みんなの意見はばらばら。
いい仕事を得て、家族を養うため、自己実現のため、お金持ちになるため、という私的領域にフォーカスした意見。
自分に恩恵を与えてくれた社会に還元するため、このような循環や営みを絶やさないため、という公共性重視の意見。
また、何が正しく、何が悪いことなのか、という価値観を身に付ける、あるいは少なくともそれを自分で考えられるようになるための判断基準の選択肢を増やす(これを一般に「視野を広げる」と呼ぶのだろう)ため、というとってもリベラルアーツな意見。



みんなの意見を図式化したマインドマップ↓





70分間話しても、統一見解に至らなかった。が、このままでは気持ち悪いので、私なりにこの授業で得た考えをまとめたいと思う。

まず、その個人が育ってきた環境や受けてきた教育、そして学問的興味によって、「教育」の概念そのもの理解がぜんぜん異なるということ。裕福な環境で、学歴のある親に育てられた子供は、教育の意味や価値を、自己実現のためのツールとして捉えやすい。言い換えれば、純粋に自分の夢を追うために、教育を利用する。大手外銀やコンサルに勤めたいとか、政府系NGOで貧しい子どもたちのために働きたいとか。一方で、恵まれない環境で育ちながらも大学教育を受けるところまで来た人は、自己実現以外のところに重きを置く傾向がある。例えば、奨学金を与えてくれた国に感謝しているからその恩返しをしたいとか、自分の子どもにはより良い環境で教育を受けさせたいから良い企業に入ってお金を稼ぎたいとか(このような目標を自己実現的目標と完全に切り離せるかどうかは議論の余地があるが)。
編入生は、ふつうに一年生から入学した人に比べてバックグラウンドの多様性があるので、話していてとても興味深い。

第二に、「教育」という概念はあまりにも広大すぎるので、その意味を考える上では、誰がどのような環境で受けている教育か、というコンテクスト(文脈)をまず定めないと議論があっちこっちに行くということ。たとえば、アフリカにおけるエイズ予防の啓蒙教育は、情報・知識が無いことによって命が脅かされることがあってはならない、という普遍的な人権思想に基づいたものだし、識字教育もその延長だろう。一方で、大学の一般教養教育は、人としての深みや幅を広げるもので、この種の教育を受けなければ命が危険にさらされたり、一生肉体労働に従事しなければならなかったりするわけではない(個人的には、大学における人文教育の重要性は訴えたいが)。この二例は極端に異なる「教育」を指しているが、文脈の共有が建設的な議論には必要不可欠である、ということを示したかった。

第三に、授業で話された「教育」は、あくまでも個人の可能性や選択の幅を広げる、ポジティブなものとして捉えられていたが、通時的・共時的に見ても、教育がネガティブに使われることもとても多いということである。例えば、アメリカの奴隷制時代は、キリスト教の牧師や宣教師が黒人たちが「より良い人間」=「白人の農場主に従順で、罰せられてもそれは自分のせいだと思いこむ奴隷」になるように「教育」した。戦前・戦中の日本においても、子どもたちは、天皇を現人神として崇拝し、神国日本の勝利のためにすべてを捧げるように「教育」された。
もちろん、実際に教えていたひとびと(宣教師、教師、親など)が、その考え方に賛同していたかどうかはまた別問題である。ただ、少なくとも教育が、それを受ける個人の自己決定権や選択可能性を広げるためではなく、むしろ狭めるために使われていたという事実は認識しなければいけない。そして、このような事象は過去のことではなく、今日でも決して珍しいことではない、ということも。



このブログを読んでくださっているあなたは、どう思いますか?
大学に行った人は、なぜ行ったんですか?教育はどこからどこまでを含むのですか?教育へのアクセスが当たり前のようにある人にとっての教育と、ラッキーな人しかそのチャンスがないような環境での教育は、どんな違いがありますか?結局、教育は誰のためのものなんですか?

答えがすぐに出てこないのは当たり前だ。長年、教育者や哲学者が意見を戦わせても一つに落ち着かないのだから。しかし、このような問いを一度も考える必要もなく今に至っているなら、とりあえずすごい幸せな人生を送ってきた、ということだと思う。
教育を受けられることは、当たり前のことではない。今更だけど。

2016年9月19日月曜日

アカペラグループの紹介!! の巻

前回の投稿で宣言した通り、アマースト大学のアカペラグループを紹介する。
アカペラグループは全部で6つ。
男子学生のみの①Zumbyes(ズンバイズ) と②Route 9(ルート・ナイン)、女子学生のみの③Bluestockings (ブルーストッキングス)と ④Sabrinas、そして男女混合の⑤TIと⑥The DQである。

9月11日、新入生向けに、全アカペラグループ合同のショーケース(発表会)が行われた。
各グループ3曲ずつ発表し、それを見て興味を持った生徒は、ショーケース直後にオーディションのサインアップ(申し込み)をする。

どのグループも、オーディションは二段階で行われる。

まず、一次審査では、グループメンバー全員がいる部屋に一人ずつ呼ばれ、発声練習と称して音域を試される。ただ、音域がせまいからと言って落とされるわけではない。それよりも、もしグループに加わったとしたらどのパート(ソプラノ、アルト、テナー、バスなど)になるかを確認している。どのアカペラグループも、基本的に欠員を補充するかたちでのリクルートなので、既にソプラノメンバーが足りているところに、さらに新しいソプラノを採用する、ということはしないのである。それを考えると、二つ以上のパートを歌える広い音域があれば、有利といえば有利である。
二個目の審査項目は、ピアノで弾いた4~8つくらいの音から成るメロディを復唱する。大体4、5パターンやるのだが、気持ち悪い音が混ざってくるので難しい。
そして、最後の審査項目は、自分が用意してきた曲の一番だけを歌う。もちろんアカペラである。この審査項目では、いわゆる歌唱力を見られる。カラオケの音がなくてもテンポや調をキープできるか、声質はどうか、などなど。

一次審査を勝ち抜くと、コールバックと呼ばれる二次審査が待っている。
ここでは、一人ずつではなく、他のオーディショニーと一緒に行う。一次審査の音域検査に従ってパートに分けられ、実際にそのグループが過去にやった曲を習う。そして、最後は、グループメンバーの中にオーディショニ―一人だけが入って歌う。音やリズムがずれれば即ばれるので緊張は大きい。

ここまで来ると、もはや審査結果などどうでもよくなって、「やっと終わった~」感が大きい(個人談)。倍率は大体7~9倍くらいだろうか。オーディションの結果誰もとらない、というグループもある。



以下に各グループの特色を紹介し、Youtubeにビデオがあるものはリンクを添付した。


①Zumbyes
男子のみのアカペラグループの一つ。スキット(短い劇)やダンスを取り入れた、ややウケ狙いのパフォーマンスをかなり真面目にやる。なぜか、一人だけバナナの着ぐるみを着たメンバーがいる。昔からの伝統らしい。

https://www.youtube.com/watch?v=5eyzz_HKiPA


②Route 9
男子のみのアカペラグループの二個目。ビジュアルの偏差値が高め。Zumbyesに比べ、最新のポップソングを演奏する傾向。

https://www.youtube.com/watch?v=OIDIQthaEqw


③Blustockings
女子のみのアカペラグループの一つ。R&B、ソウル系のブラックな音楽を中心に演奏する。誰がソロをやってもすごく上手、という粒ぞろいのグループだ。バックコーラスの統一感というか、溶け込み感もかなり高クオリティ。

https://www.youtube.com/watch?v=3CNqNHZPvXY


④Sabrina's
Bluestockingsに比べると、ポップなかわいい曲を中心に演奏するイメージ。最近はそうでもないが、白人の子がメンバーに占める割合が大きい。

https://www.youtube.com/watch?v=yGpWWA75bfE


⑤TI
ラテン語で「世を照らす人であれ」を意味し、かつアマースト大学のスクールモットーである、Terras Irradientの略。男女混合のクリスチャンのグループで、讃美歌、ゴスペル、ワーシップソングなど、キリスト教関係の曲を演奏する。
ビデオなかった、、、、


⑥The DQ
DQはDouble Quartetの略。8人で始まったグループだかららしい。男女混合でポップスを中心に演奏するが、毎回のコンサートで何かしらメドレーをするのが恒例。白いジャケットがトレードマーク。
そして、そして、私がオーディションを経て入ったグループでもある!!!もうすでに大好き!!

https://www.youtube.com/watch?v=NrSOhz1kCEs



デビューステージは11月らしい。今から楽しみで仕方ない!

Singing College の巻

アマースト大学は、"Singing College"という異名を持つ。
理由は、文字通り、歌関係のサークルや部活動がとても豊富で、しかも、それに従事している学生がとても多いからだ。


まず、大学の音楽デパートメントの教授陣が指導する公式の音楽集団を紹介しよう。
まず、Choral Society(コーラス)がある。この中には、女声のみのWomen's Chorus、混声のConcert Choir、男声のGlee Club、そして1パート1人で構成されるMadrigal SIngersがある。
そして、シンフォニーオーケストラとは別に、ジャズアンサンブルも存在する。アンサンブルには、ベース、ドラム、ピアノ、ホーンズ(トランペット、トロンボーン、各種サックス)、そして歌手がいる。

Choral Society、オーケストラ、ジャズアンサンブルは、月1回くらいのペースで演奏会があり、少なくとも学生は無料で聴きに行くことが出来る。

興味のある人はリンクを見てみてね!
https://www.amherst.edu/academiclife/departments/music/events?mm_calendar=2016-09


これらのグループに加えて、ミュージカル、シアター、ダンスも、全部教授が指導する部活動・実践授業が存在する。
月数百ドルを支払えば、声楽や楽器演奏の個人指導も受けられる。
日本の大学って、そもそも音楽・芸術デパートメントがあるところが少ないから、もう驚くばかり。



↑一年生寮に囲まれたFreshman Quad 
天気のいい日はここで勉強:)




続いては学生サークルの紹介。
まず、ゴスペルクワイヤーがある。わーい!!すぐ入部しました笑
特に指導者はおらず、学生のうちの一人がディレクター(指導者、指揮者)を務めている。
発表の場は、学期に二回の特別礼拝と、学期に一回のコンサートである。
祈りで始めて、祈りで終わる、神様への賛美を中心に活動しているクワイヤーだ。

そしてそしてそして、、学生に歌うのが好きな学生に人気なのはアカペラサークル。
全校生徒1800人の大学なのに、6つもグループがある。1グループ10人強だが、それでも30人に1人以上はアカペラグループに所属していることになる。
各グループの紹介は、次回の投稿で!グループに加わるための選考プロセスもご紹介します!

2016年9月15日木曜日

授業紹介:Ancient Political Thought の巻

自分のメジャー要件を満たすべく、今学期は政治科学の授業を二つ取っている。
そのうちの一つが、今回紹介する、Ancient Political Thought (古代、もしくは古典的政治思想)の授業である。

名前の通り、古代ギリシャに始まる政治思想を学んでいく。扱う文献の著者の中で一番最近の人物はアウグスティヌス(西暦430年没)なので、本当に古いやつです。笑。
(ハンナ・アーレントのテキストを少しだけ読むけど、参考なのでカウントしない)


写真は、この授業で読んでいくテキストの一部だ。これ以外にもPDFがバンバン送られてくるので、読むものが尽きることはない。


まだ3回しか授業をやってないので、自分の学んだことや考えたことを文字にしてブログに載せられるようになるまでは、まだしばらく時間がかかりそうだ。なので、授業がどういう風に構成されているか、少し紹介したいと思う。

シラバスによれば、この授業は二部構成である。

はじめの二か月間は、第一部:The Question of Democracyに取り組む。読むのは、プラトンの『国家』と、アリストテレスの『政治学』、そして最後にハンナ・アーレントを少しだけ。
私の予想では、そもそも民主主義とはなんなのか、何がこの政治体制に正統性をもたせるのか、もとの理想はどんなもので、それは現在にも生きているのか、「民」とは誰のことを指すのか、民主主義のネガティブな側面は何か、というような問いを考えていくのだと思う(今後、私の予想が大幅に外れたらちゃんと訂正します笑)。

後半の第二部のタイトルは、The Concept of Universalであり、キケロの『国家』、ヨハネによる福音書、ローマ人への手紙、アウグスティヌスの『神の国』を読んでいく。"Universe"には、宇宙、万物、全人類、普遍、など、さまざまな意味がある。だからこそ、"concept"、つまり概念そのものについて学んでいくのだろう。シラバスには、愛とは、法とは、人と神との関係とは、普遍主義とは、というタイトルの授業が並んでいる。
神学的なテキストをどうやって政治思想として読んでいくのか、今からわくわくが止まらない←



で、今のところ、私がこの授業で一番気に入っていること。それは、授業が行われる教室である。
「はぁーそんなことかい」と思われるかもしれないが、見てくださいこの写真。

ワインレッドの絨毯に木製のテーブルとイス。真っ白の壁と高い天井。二階ギャラリーに続く螺旋階段。

教室に入っただけで哲学者になれる気がする。笑。


Octagon(オクタゴン)と呼ばれるこの建物は、外から見ると、名前通り、八角柱の形状をしている。この建物には、写真の教室一つしかない(たぶん)。
ここで教えられているのは、主に歴史学や哲学などの人文科学系で、政治思想は政治科学の中でもかなり人文寄りなので、ここになったのだと思う。


エアコンがないためすごく蒸し暑いのが玉にキズだが、あと二週間ほどで気温も下がって気持ちよく学べるだろう。
教室の雰囲気って、小さいことだけど、生徒を「その気」にさせる結構大事な要素だと思う。





2016年9月11日日曜日

アカデミックアドバイジングの質がすばらしい の巻

授業1週目で、既にリーディングアサインメント(授業までに読んでくる文章)の量に眩暈がしている。が、これは前回の留学(*)で慣れていることだし、予習しないと授業に行っても意味がないので、文句を言っている暇があったら読もう!と自分を奮い立たせている。


 さて、以前の投稿にも書いたように、アマースト大学では「オープンカリキュラム」といって、どんな授業でも履修することが出来る。が、全く制限がないわけではない。「メジャー要件」と、一学期に履修できる授業の少なさである。
 「メジャー要件」とは、卒業までに自分のメジャー(専攻)の授業をいくつ以上履修しなければいけない、という条件である。必要単位数は、すべてのメジャーに共通ではなく、各メジャーのデパートメントがそれぞれ定める。例えば、私が専攻するPolitical Science(政治科学)は、卒業までに12個の政治科学分野の授業を履修しなければならない。卒業までの全授業数は32(1年に8授業×4年間) なので、1/3弱は政治科学の授業で埋まることになる。

 1学期に4授業とは、ずいぶん少ないなあと思われるかもしれない。私もICUでは1学期に5~6の授業を受けていたので(しかも3期制で!)、アマースト大学の履修授業数の少なさには違和感を覚えた。しかし、一旦授業が始まれば、すぐに納得がいく。授業外での自主勉強への期待がとても大きいのだ。しかもクラブ活動もめちゃくちゃ活発なのことを考えると、4授業でも息が切れる。


 話がそれてしまったが、私が言いたいのは、「授業選択が著しく自由な分、計画的に学ぶ責任も伴う」ということである。それをアシストするために、「アカデミックアドバイジング」制度が存在する。

 生徒一人ひとりに、担当教授(アカデミックアドバイザー)がついて、履修計画や将来の進路、インターンシップ、課外活動まで、色々な相談にのってくれる。授業登録の前には、アドバイザーと会って授業選択について話し合うことが義務付けられている。しかも45分間も。これを経ないと、授業登録ができないシステムになっている。
 このセッションでは、メジャー要件の確認をはじめとして、その学期のみならず、卒業までの包括的な履修計画について話し合う。アドバイザーと話す過程で、生徒は「自分はどんなトピックに興味があるんだろう?」「自分はこのメジャーにする!と決めてかかっているけど、本当にそれは自分が学びたいことなのかな?」と何度も問い直し、考えを深めることで、確信を持って学びを進めることができる。
 まとめると、アカデミックアドバイザーは、生徒が自分の目標を明確にして、そこに行き着くための道筋を可視化するための、カウンセラー兼コンサルタントである。


↓私のアドバイザーのオフィスが入ってるCooper House

 
私のアドバイザーは、つい最近シカゴ大学から移ってきた、哲学・宗教学の教授であるが、たっぷり30分間は私の身の上話に付き合ってくれたあと、編入生の卒業要件をググって教えてくれた(本当は自分で調べるものなのだが)。
そしてアラビア語を学ぼうとする姿勢をこれでもかというくらいほめちぎり、政治科学を学び続けるなら今一度ギリシャ政治哲学をやりなおすことを強く勧めてくれた。セッションの終わる二分前、理論的な授業と経験的な授業の両方を履修する私のセンスの良さに太鼓判を押してくれたころには、この学期が知的興奮に満ちた素晴らしい4ヶ月になる確信しかなかった。
 なにごとも、自分が今やっていることは必ず意味があるんだ!と自信を持って取り組むのは、とても重要な気がします。


 アドバイザーとアドバイジー(生徒)は、学期中に何度でも会って話し合うことが奨励されており、授業についてちょっとでも不安なことがあったら、「先生~助けて~!」とすがることができる。
 アマースト大学には、アドバイザー以外にも「すがるアテ」がたくさんあるのが素晴らしい。それらについても、また追い追い紹介していきます。
 





*前回の留学:ICU在学中(2014年8月~2015年5月)にペンシルベニア大学に交換留学していました。生徒数も1万人以上、大学病院(獣医も!)やビジネススクール(Wharton Business School)もある総合大学で、アマーストとはかなり性格の違うところだった。一応アカデミックアドバイザーはいたものの、相談は義務ではなかったし、周りにもアドバイジング制度を積極的に利用している生徒はあまりいなかった。あ、でも、とてもいい大学ですよ、本当に!Ivy Leagueの一つだし!笑

2016年9月8日木曜日

奨学金で学ぶということについて考える の巻

「誰のための、何のための教育か」というセミナーで、アメリカの貧困層にある子どもたちが、ドラッグ、アルコール、多種多様な犯罪、環境汚染に囲まれて生活し、まともな教育を受ける機会ばかりか、そのような環境から抜け出したいという希望さえも奪われている、というような文章をいくつか読んでいる。
類似した内容の文章は、日本国内の文脈でもたくさん読んできた。そして、その都度、自分がかなり恵まれた環境にいる分、自己実現のためだけではなく、学ぶ機会を剥奪された人々に対する責任感を持って学ぶべきだと考えてきた。


だが、、、なんなのだろうか、今抱えている、ズシンとした重みと焦燥感を掛け合わせたような感情は。なぜ、今回は、今までよりもずっと胸がつまるのだろうか。

たぶん、奨学金だ。自分が奨学生として、ここにいるという事実が、以前にも読んだことのあるような文章に、違う色の光をあてているのだ。


アマースト大学は、全米リベラルアーツカレッジランキングで、毎年1位か2位にランクインする、いわゆる名門校である。しかし高いのは、ランクだけではない。学費も異常な高額である。
学費だけで、軽く550万円ほど、そこに寮費やミールプラン、保険料、教科書代を入れれば、1年間で750万円ほどかかる。そんな環境に、私は、奨学生としている。

少し恐ろしい事実だと思う。

そんなことしても仕方ないと思われるかもしれないが、私の奨学金と同等の金額を、今読んでいる文章に出てくるような子どもたちの教育にあてたら、どれくらいの人数が高校卒業資格を得られるのだろうか、とか、何人の人が飢えをしのげるのだろうか、とか、どうしても考えてしまう。
そして、わたしは、それだけの価値を持っている、あるいは将来的に生み出せるだろうか、とも思う。

この問いかけ自体が傲慢な気もしてくる。どうして750万円相当のワクチン支援で死を免れた多くの命と、私一人が生み出す価値とを比べることができようか。命に勝る価値などないはずではないか。

気分が暗くしかならないようなこの問題からは、目をそらそうと思えば簡単にそらせてしまう。人間は自分に都合のいいことしか認知しないから。でも、私が全米一学費の高い大学で、奨学生として学ぶ以上、ずっと向き合っていかなくてはいけない問いなのだ。卒業してからも、ずっと。

こうやって他者を意識したり、他者に責任を負ったりすることでしか、人は謙虚になれないのかもしれないなあ。ありきたりだけど、私の存在が誰かの犠牲の上に成り立っていることを、授業やクラブ活動で忙しくなっても、忘れないようにしたいです。


夕日に照らされるJohnson's Chapel.

履修する授業を決めました の巻

"Course shopping"というフレーズは、アメリカの大学でよく聞かれる。
履修登録した授業以外にも、興味のある授業や、取るかどうか迷っている授業に出席して、最終的な履修計画を決めるプロセスのことである。大抵、授業開始日から10日ほどで最終的なレジ(registration = 授業登録)をしなければいけないが、この期間をcourse shopping periodもしくはadd/drop periodと呼ぶ(addは、もともと登録していなかった授業を後から追加すること、dropはもともと登録していた授業をキャンセルすること)。

ということで、私もいくつか興味のある授業に参加して、今学期とる授業を決めました!
一つ一つの授業の説明はまた追い追いするとして、なんでその授業を取ることにしたかを簡単に書きます。

①First-Year Arabic (初級アラビア語)
 まず、第一に中東政治を学ぶ身として、言語を知らないと、現地メディアや一次資料へのアクセスしたり、現地の人々と交流したり出来ないから。第二に、イスラームの思想・哲学を学ぶにあたり、コーランをアラビア語で読めたら大変役立つし、思想と言語は切り離せないので、イスラーム特有の思考様式(そのようなものが存在すれば)を理解するのにも役立つから。第三に、右から左に文字を書けたらかっこいいから。


②First-Year Seminar for Transfers: Education for Whom and What for? (新編入生向けゼミ:誰のための、何のための教育か)
 これは、新入生全員に割り当てられているゼミの一つで、我々編入生にもこれが自動的に登録されていた。履修から外そうと思えば出来るのだが、残そうと思ったのは、第一に、「書く力」を伸ばすため。今後、ペーパーを満足できる英語で書くだけの能力を身につけたい。第二に、二度目の大学生生活を送るチャンスだけでなく、それを奨学金で賄ってもらっている身として、自分が教育を受けるということは、一体どのような意味を持つのか、どのようなこと・人に対して責任を負うのか、今一度考える必要があると思ったからである。


③Ancient Political Thoughts (古代政治思想)
 政治科学専攻分野の授業。第一に、古代政治哲学の知識が不足しているのがずっと気がかりだったから。古代ローマと古代ギリシャの哲学者たちの言葉は、面白いことに決して時代遅れではなく、現在と未来の政治を考える上で重要な示唆を与えてくれる。第二に、この授業を担当する教授の評判が高かったから。私の彼に対する第一印象は「変わり者」だったが、教授をよく知る生徒の評価も「変わり者」なので、本当に変わった方なんですね。きっと。


④Intervention to Africa (アフリカへの介入)
人道的介入から軍事介入まで、国連や先進国のアフリカへの介入の実績(というか失敗)を、批判的に考察する。そして、一学期かけて、アフリカ大陸に実在する危機(エイズ問題、飢餓、武力衝突、人権侵害etc.)に対して、自分なりの介入計画を作成する。理論ゴリゴリの③に比べて、実際的・経験的な授業だと思う。



結構センスのいいセレクションだと思う。勉強、頑張ります。

2016年9月1日木曜日

「知の消費者」から「知の生産者」へ の巻

インターナショナルスチューデンツ・オリエンテーション最後の日。
昨日から今日にかけて、在校生も続々とキャンパスに戻り始め、静かだったカフェテリアもかなりガヤガヤしてきた。

Dean of New Students(新入生担当部長)が、リベラルアーツカレッジで、特にアマースト大学で学ぶとはどういことかについて話してくれた。


そもそもリベラルアーツカレッジをごく簡単に説明すれば、自然科学(生物、物理、情報科学など)、人文科学(歴史、哲学、文学など)、社会科学(政治、経済、人類学、法など)の3つの学問分野を、学際的に学ぶ四年制大学である。入学時にはメジャー(専攻)を定めず、多くの場合3年生になるときに「メジャー選択」を行う。アマースト大学には、American Studies から Theater and Dance、そしてPhysics and Astronomyまで、38のメジャーがある(詳しくは、https://www.amherst.edu/academiclife/departments/node/214534をご参照ください)。
リベラルアーツには古代ギリシャにまで遡る非常に長い歴史があるのだが、ここでは割愛する。


さて、本題に戻して、リベラルアーツカレッジで学ぶとはどういうことなのか。
まず、授業選択に制限がない。アマースト大学は必修科目もない。だから、コンピュータサイエンスを学びつつ、西洋美術史も取れる。
第二に、広く学ぶということは、専門的で深い知識を身に付けるのはなかなか難しい。従って、リベラルアーツカレッジを卒業した学生は、大学院に進んで自分の専門についてより深く学ぶことが多い。現に、アマースト大学の卒業生のうち95%は、卒業後5年以内に大学院に進学する。
第三に、少人数制クラスも大きな特徴だろう。アマースト大学の一クラスの平均人数は15人だし、ICUでも大きいクラスで60人ほど、小さければ生徒が2人、ということもあった。全校生徒数もかなり少ない(アマースト大学は1800人、ICUは2400人)。生徒と教授の距離も近く、コーヒーを飲みながら雑談したり、キャンパス内に住んでいる教授のホームパーティに招かれたりもする。


そんな中でも、アマースト大学の特徴は、生徒に批判的思考力を身につけさせ、とにかく膨大な量を書かせることである。読む量もハンパないが、書く量はとても多い。そこには、学生が卒業するころには、「知の消費者」から「知の生産者」になっていてほしい、というアマースト大学の狙いがある。

つまり、既存の理論や他人の考えのパッチワークではなく、自分の考えや視点を、説得力のある形で提示する力を身につけさせたいのである。そのためには、これまで当たり前だと思っていたことを再度検証したり、主流の考えに自分なりの新たな視点を加えてみたりなど、独自の手法と知的努力が必要とされる。
そして、このプロセスは創造的で面白い一方、時にはとてもストレスフルだから、ライティングセンター(*)やスチューデンツオフィス(いわゆる教務)、そしてカウンセリングセンターまで、充実したリソースが学業だけでなく、生活面や精神面で生徒のサポートをする。
まさに、全校を挙げて「知の生産者」の育成に全力を注いでいるのだ。


なんだか大変なところに来てしまったなあ、とつくづく感じる。
授業が始まったら毎日死に物狂いだろうなあ。




*ライティングセンターとは、専門のスタッフがライティングに関する疑問に答えてくれるところである。英語を母語とする学生も多く利用する。アマースト大学のライティングセンターは、ドラフトの文法・語彙チェックだけでなく、レポートの中身の構成、引用の仕方、図表の効果的な使い方、そしてプレゼンの仕方まで、本当に何から何までサポートしてくれる。